各地に残る、菅公と人々との交流跡 |
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最初の目的地は兵庫県明石市、阪神高速湾岸線で快適に神戸へ来ました。でも、湾岸線の終点の六甲アイランドからは、一般道を経て相変わらず混雑している阪神高速神戸線に。湾岸線は片側3車線・合計6車線、神戸線は片側2車線・合計4車線で、しかも神戸線には湾岸線の車が流入し、また湾岸線を下りて乗り換えるのが面倒で最初から神戸線に乗る人もいるため、この渋滞です。 |
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一栄一楽これ春秋 <菅原道真旅次遺跡の地図はこちら> | |
「延喜元(901)年です。時に右大臣は菅原道真、左大臣が藤原時平でした。学者で人望家の道真が勢力を伸ばすのを、藤原一族がねたんで追い落としたのが左遷の原因でしょう。ルートは京都を出発して、淀川を尼崎の大物(だいもつ)まで下り、海を船で西へ行きます。ところが、兵庫津(ひょうごのつ)、今の和田岬で大シケに遭って進めせんでした。陸路も鉄枴山(てっかいざん)の南側は今と違って海岸が山すそに接近し歩ける地勢ではなかったようです。須磨で上陸して、山の北側へ迂回して行ったのでしょう」 |
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碑には「駅長驚くなかれ 時の変わり改むるを 一栄一楽これ春秋」という漢詩が刻まれています。 |
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