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各地に残る、菅公と人々との交流跡
今日7月25日は天神祭、これを抜きにして大阪の夏は語れません。天神信仰は太宰府に左遷された菅原道真公の怨霊による天災を鎮めるための信仰として始まり、後に学問の神として信仰を集めます。今回は、道真が太宰府へ向かった近畿における足跡を探ります。



   市民参加型の道づくり 
 

この日は第二神明道路も利用

 最初の目的地は兵庫県明石市、阪神高速湾岸線で快適に神戸へ来ました。でも、湾岸線の終点の六甲アイランドからは、一般道を経て相変わらず混雑している阪神高速神戸線に。湾岸線は片側3車線・合計6車線、神戸線は片側2車線・合計4車線で、しかも神戸線には湾岸線の車が流入し、また湾岸線を下りて乗り換えるのが面倒で最初から神戸線に乗る人もいるため、この渋滞です。
 大阪湾岸道路は垂水ジャンクションとりんくうジャンクションを結ぶ道で、その主要部分が阪神高速湾岸線です。約60kmは開通していますが、六甲アイランドと名谷ジャンクション間の約20kmがまだ出来ていません。道路を造る場合、まず都市計画決定が必要ですが、20kmのうちの4分の3にあたる六甲アイランドと長田区駒ケ林南ランプ間はそれができていません。昨年11月、「大阪湾岸道路有識者委員会」が設立され、PI(パブリック・インボルブメント)による市民参加型の道づくりが始まりました。学識経験者が市民の意見を聞きつつ、公正中立な立場から提言をしていくというものです。


  一栄一楽これ春秋   <菅原道真旅次遺跡の地図はこちら>
 

菅公旅次遺跡(左)
  第二神明道路の大蔵谷インターから10分、JR明石駅の北東約1・2kmにある太寺(たいでら)2丁目バス停の横、「菅公旅次遺跡」の碑に来ました。菅公とは、もちろん菅原道真公のことです。郷土の歴史研究家で道真に詳しい、橋本通男さんに伺いました。まずは、道真の左遷について。
「延喜元(901)年です。時に右大臣は菅原道真、左大臣が藤原時平でした。学者で人望家の道真が勢力を伸ばすのを、藤原一族がねたんで追い落としたのが左遷の原因でしょう。ルートは京都を出発して、淀川を尼崎の大物(だいもつ)まで下り、海を船で西へ行きます。ところが、兵庫津(ひょうごのつ)、今の和田岬で大シケに遭って進めせんでした。陸路も鉄枴山(てっかいざん)の南側は今と違って海岸が山すそに接近し歩ける地勢ではなかったようです。須磨で上陸して、山の北側へ迂回して行ったのでしょう」


塩屋駅隣の管公橋

  碑には「駅長驚くなかれ 時の変わり改むるを 一栄一楽これ春秋」という漢詩が刻まれています。
「明石の駅(うまや)の長、駅長が、塩屋、鉄枴山の西側の海岸まで出迎えて案内したそうです。その時渡った橋、今、JR山陽本線塩屋駅の東の川を渡る国道2号の橋は、『菅公橋』と名づけられています。明石の駅の確実な位置は分かりませんが、この旅次遺跡から200mほど東の高家寺(こうけじ)にあったと考えられます。駅長が心配すると、『驚くなかれ 一栄一楽 これ春秋』と言ったそうです。『びっくりせーでええわ、栄える時もありゃあ、落ちる時もあるわ』ということでしょう」
 橋本さんにとって道真公はどんな神様なんでしょう。
「親父が道真公の研究者とまではいえませんが、好きで、私が5歳の時に菅公さんの史跡を慕ってこちらへ移住しました。なにかにつけ天満宮へ行き、『道真さん拝んでこい、遊んでばっかりおらんと』なんて何回も言われました。風変わりな親父でした」