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風情と歴史を刻む、京の坂道。
梅雨の季節。今回は、雨が降ってもよく似合う道を歩くことにしました。京都の坂道です。今日はお天気ですが、雰囲気のある坂道が、いっぱい私を待っていそうです。



  京都の坂といえば清水   <三年坂の地図はこちら>
 

二年坂

 最初は東山区清水寺周辺です。「一年坂」「二年坂」「三年坂(産寧坂)」とつながるうちの一つ二年坂は「二寧(にねい)坂」ともいい、緩やかな石畳が続きます。竹久夢二の寓居跡やさまざまな店が並び、「ここでつまずき転ぶと二年以内に死ぬ」という言い伝えも残っています。石段や坂道には気をつけてという警句のようです。「坊日誌」には「宝暦八(1758)年桝屋喜兵衛なる者、官の許可を得て、之を開拓、屋地と為す」とあるそうで、以来、一帯は「桝屋町」と呼ばれているそうです。現在の街並みは大正初期に出来たそうで、国の町並保存地域に指定されています。
 二年坂を上るとT字路で、右は東大路通へ下り、左は三年坂。全国各地のお国言葉や外国語が飛び交うなか、道の奥から聞こえてくるはんなりした京都弁が何とも言えません。右にカーブしつつ三年坂を上り切ると、そこは「清水坂」との交差点。修学旅行生が大挙して清水寺に向かっています。清水坂は東大路通から清水寺の仁王門へ行く、西から東への上り坂。二年坂や三年坂は北から南へ上がっていく坂です。


  門前町は尾根伝いの坂道
 

三年坂
  三年坂との角から清水坂を少し上がると、お土産店「岩月(がんげつ)堂」があります。ご主人で清水寺門前会会長も務める田中博武さんに伺いました。
「八坂の塔から、二年坂、産寧(さんねい)坂を上がってくるのが、清水へ参る道すがらです。尾根伝いの道がこの参道(清水坂)で、海抜120mといわれています。平安京が出来る前から尾根伝いにお参りしていました。清水坂は、この下で途切れていて、(東大路通まで)通ったのは戦後です。『五条坂』も、戦後に大きいバスプールが出来た時に通りました。それ以前は獣道のような道しかありませんでした。昔は清水寺から下りてきますと、産寧坂を行くしか道がなかったんですね」


三年坂と清水坂の交差点
 二年坂、三年坂は古いのでしょうか。
「大同2(807)年に出来たから二年坂だと聞いています。ただ、“三年坂”は泰産寺へ安産を祈願しに行く坂という意味で、『産寧坂』が本当やと聞いてます」

 ずっと見てきた清水坂は変わったのでしょうか。
「私が見ている間でけでも随分変わりました。清水寺は、全国から、世界から人が来るというのが面白いお寺です。お寺あってこその門前町、お寺と一体でやっていくのが我々のモットーです。そういう意味では、うまいこといっている例かなと思っていますけど。夜の拝観や清龍会(せいりゅうえ)という龍が出る60人ぐらいの行道(ぎょうどう)も、門前会の手ですべて実行しています。清水寺はリピーターが6割。寺や名所で6割なんてありません。修学旅行で来て、次に彼や彼女と、そして、結婚してまたお見えになる。一見さんのように『おおきに』でしまいやなく、『毎度おおきに』が随分あるんですね」