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風情と歴史を刻む、京の坂道。 |
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最初は東山区清水寺周辺です。「一年坂」「二年坂」「三年坂(産寧坂)」とつながるうちの一つ二年坂は「二寧(にねい)坂」ともいい、緩やかな石畳が続きます。竹久夢二の寓居跡やさまざまな店が並び、「ここでつまずき転ぶと二年以内に死ぬ」という言い伝えも残っています。石段や坂道には気をつけてという警句のようです。「坊日誌」には「宝暦八(1758)年桝屋喜兵衛なる者、官の許可を得て、之を開拓、屋地と為す」とあるそうで、以来、一帯は「桝屋町」と呼ばれているそうです。現在の街並みは大正初期に出来たそうで、国の町並保存地域に指定されています。 |
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門前町は尾根伝いの坂道 | |
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「大同2(807)年に出来たから二年坂だと聞いています。ただ、“三年坂”は泰産寺へ安産を祈願しに行く坂という意味で、『産寧坂』が本当やと聞いてます」 ずっと見てきた清水坂は変わったのでしょうか。 「私が見ている間でけでも随分変わりました。清水寺は、全国から、世界から人が来るというのが面白いお寺です。お寺あってこその門前町、お寺と一体でやっていくのが我々のモットーです。そういう意味では、うまいこといっている例かなと思っていますけど。夜の拝観や清龍会(せいりゅうえ)という龍が出る60人ぐらいの行道(ぎょうどう)も、門前会の手ですべて実行しています。清水寺はリピーターが6割。寺や名所で6割なんてありません。修学旅行で来て、次に彼や彼女と、そして、結婚してまたお見えになる。一見さんのように『おおきに』でしまいやなく、『毎度おおきに』が随分あるんですね」 |
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