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   一番風情のある坂はヘビの脱け殻!?

 

口縄坂

 学園坂の一本南の道を西に入ると谷町筋と松屋町筋をつなぐ静かな下りの坂道が出現。石畳で幅が3mぐらいでしょうか。入り口にはツツジが満開で、下の方では何人かがスケッチをしています。
「『口縄(くちなわ)坂』です。私たちは一番風情のある坂だと説明しています。関西ではヘビを『くちな』といい、その脱け殻のような坂だからという説。この坂から大阪城築城の縄打ちをしたという説。どちらが本当かは分かりません(柳原さん)」

 坂の上には織田作之助「木の都」の文学碑があり、引用文が彫られています。
「この下に今の夕日丘高校が昭和9年まであって、織田作がバレー部の指導に来た時に出会った奇麗な女の子のことを思って書いたのかなあと、私は解釈しています(柳原さん)」

「何であれ、非常に悲しいなぁという、失恋の思いか何かが出ていますね(藤村さん)」



愛染かつら

 口縄坂を下りて南に歩き、大江神社の石段の横にあるのが「愛染(あいぜん)坂」です。上ると勝鬘(しょうまん)院愛染(あいぜん)堂があります。「愛染さん」は恋愛のお寺、境内に「愛染かつら」もあります。
「大阪の夏祭りは、愛染さんに始まり住吉さんで終わる。『愛染まつり』は浴衣祭りともいわれ、女性がこの日に浴衣をおろします。愛染かつらの木にノウゼンカズラが巻き付いていますが、これが『愛染まつり』の前後にオレンジ色の花を咲かせます(柳原さん)」
 絡み合う様子が男性と女性のようです。

   接待御用達の料亭

 

清水坂

  愛染坂の南側にある星光学院の南の道を西に歩くと、「清水(きよみず)坂」に出ました。いったん下って坂を見上げると、右に清水寺あり、左手のこんもり木の茂った所に料亭があったそうで、松尾芭蕉、与謝蕪村、十返舎一九などの文人や、当時日本が銅を輸出していた相手国のオランダ人などが使っていたそうです。
「オランダ商館長が、大阪の銅座役人を接待したそうです。料亭『浮瀬(うかむせ)』、上町台地に三つある横綱クラスの料亭の一つです(藤村さん)」



天神坂 右側に安居天神がある

 清水坂から一本南の「天神坂」は緩やかな坂です。石畳ですが、天王寺七坂にも昔から石畳だった坂は少なく、ここも昔は地道だったそうです。
「『安居天神』の横にあるから天神坂です。この辺りの水は「七名水」の一つで、天神さんに『かんしずめの水』があります。他に、『増井の清水』、『有栖の清水』など水が豊かでした。大宰府へ流される際におばの覚寿尼(かくじゅに)に別れを告げるため道明寺へと行く途中、この天神さんで休んでいる道真公に地元の人が粟おこしを差し上げたところ、おいしいということで梅鉢の紋を与えました。だから、今も粟おこしには梅鉢の紋があります(柳原さん)」



逢坂は国道25号
 安居神社の境内を抜けて国道25号に出ると、通天閣や一心寺が見えます。ここは最後の坂です。
「逢坂です。聖徳太子と物部守屋が互いに信じる法を合わせ、討論したことで“合坂”と付いたのが始まりです。昔は9尺(2・7m)の道幅で、坂も今より急だったため車が逆戻りする事故が多く、観音寺の尼さんが明治初めに土を盛って坂を緩やかにし、道幅も倍ぐらいにしました。その後、市電の開通に伴って国道25号となり、23〜24mに広げられたわけです(柳原さん)」


天王寺観光ボランティアガイド協議会
■ガイド料/ガイド1人1000円程度
■申し込み/06-6774-9734
    (天王寺区役所企画振興係)  


「天王寺七坂」を歩き、昔の風景、人々の息吹きを感じました。大阪にも、まだまだ発見がありそうです。