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    「くしもと大橋」を渡って大島へ             <くしもと大橋の地図はこちら>
 

くしもと大橋(苗我島〜大島間)
 串本海中公園から本州最南端の潮岬に入りました。ここには、潮岬灯台もあります。この潮岬の東に苗我島(みょうがしま)があり、さらにその東に紀伊大島があって、「くしもと大橋」でつながっています。この橋、苗我島までは普通に延びていますが、苗我島で急にループのように右に旋回して、島の山の一番上まで一気に登ります。そして、その高さで大島まで橋が架かっています。1999年にこの橋が出来るまでは、串本港から大島まで船で15分かかっていたそうですが、今は5分。大変便利な上に、このパノラマ絶景も嬉しい限りです。
 
   日本とトルコの友情物語
 
トルコ記念館
 大島の東端、海にせり出した崖の上に「トルコ記念館」があります。トルコは東洋と西洋を結ぶ十字路。このトルコ記念館は、トルコ共和国の資料などを紹介する施設で、トルコと日本の友好のもとになった歴史的出来事の資料も展示されています。串本町とトルコはどんな関係でしょうか。館長の大石清さんに伺いました。
「紀伊大島近くでトルコの軍艦が遭難した時、串本町の住民が献身的な救援活動を行って、両国友好の礎を築きました。明治23年9月16日夜9時ごろ、大島は台風の真っただ中で、トルコの軍艦が遭難しているのを漁師が見つけて、すぐに救援活動を始めました」



トルコ人の救援場所となった樫野灯台
 その時の状況はどうだったんでしょうか。
遭難したのは2300トンの軍艦『エルトゥールル号』で、トルコ皇帝の使者やトルコ海軍の将兵650名のうち580名あまりが亡くなりました。助かったのは69名。彼らを近くの灯台まで運んで、当時3人もいた島の医師が手当てをし、島民たちはニワトリやイモなどの非常食を持ち寄って世話をしました」

 その後はどうなったのでしょうか。
「神戸で本格的な手当てを受けて1カ月で全員が元気になり、日本国内で集めた義援金とともに、日本の軍艦が2カ月かけてトルコまで送りました。トルコでは歴史の教科書でこのことを教えたため、日本びいきの国になってくれました。串本町は、昭和39年にトルコのヤカケント町と、昭和50年にメルシン市と姉妹都市提携しています。平成7年からは両国の青少年の交流活動も始まって、毎年、中学生や高校生が多数おいでになります」


  トルコ記念館
 
 ■開館時間/9:00〜17:00
 ■休館日/なし
 ■入館料/大人250円、小学生以下120円
 ■TEL/0735-65-0628


和歌山県は東南海・南海地震による津波被害が懸念されていますが、こんな昔話があります。安政南海地震による津波が紀州広村を襲った時、千葉に養子に入っていた浜口梧陵がたまたま帰省中で、危険を知った彼は、日が暮れていたため“稲むら”を燃やして村人を避難させ多くの人命を救ったと言います。浜口は村の復興に尽力し、堤防も造っています。スマトラ島沖地震の津波被害を見ても、日ごろの備えが大切だと痛感します。