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巨大な国技館もあった大阪市北東部を散策 大阪市中央区にある天満橋、大川が流れています。ここは古くから水上交通の要衝で、京の都とも淀川で結ばれていましたが、道の歴史を見ても、この辺りが京都への玄関口だったようです。今回はこの近くから始まっていた「京街道」を散策します。 |
京への入り口、「京橋」 <「京橋」の地図はこちら> | |
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「東海道の一部になりました。東海道は(東から来る際)滋賀県大津で分岐して、一方は三条へ、もう一方は山科の辺りを通って、伏見、淀川左岸、そして大阪の京橋へと行きました。大阪と東海道を結ぶ道を造る時の重要なポイントは伏見。伏見に城を造り、すぐ近くの京都を押さえ、古くからある伏見と大津を結ぶ道を押さえることができました。だから、伏見と大阪を結ぶ道を整備する必要がありました。なお、伏見、淀、枚方、守口に宿を置き、後に“東海道五十七次”となります」 <野田橋跡の地図> |
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昔の京橋周辺の京街道はどんな風だったのでしょう。 「京橋から堤をしばらく行き、『野田橋』で『鯰江(なまずえ)川』を渡ります。野田橋は今では石碑が建っているだけ。鯰江川もありませんが、その堤防の雰囲気がよく残っていて、片町2丁目付近は道の両方が坂道になっています。そこを抜けると国道1号で、JR環状線のガード近くに道標が残っています。幕末の文政9年のもので、『左 京みち』などと書かれています」 今でも街道っぽいところはどこでしょう。「地下鉄谷町線関目高殿駅の少し東梅田寄りに、『七曲がり』というところがあります。ここだけ取り残されたかのようにクネクネ曲がっていて、大阪市内で一番京街道の雰囲気があるのはここです」 <この近辺の地図> |
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右へ左へ「七曲がり」 | |
アーケードを抜け、少し街道の雰囲気があるなかを5分ほど歩いた都島中通3丁目14に、「榎並地蔵」が祭られていています。大澤さんによれば、昔は村の出入り口にお地蔵さんを建てて、悪い病気などが村に入ってこないように願ったということです。 <榎並地蔵の地図> |
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古い建物はないものの、昔の道はこういうふうだったのだろうなと思わせる曲がり方をしています。 <七曲がりの地図> |
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