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   大和三山を踏破    <橿原市の地図はこちら> 

 

畝傍山頂からの眺め
右端のラクダのこぶのような山は二上山

 橿原神宮裏の参道から畝傍(うねび)山の山頂へと登りました。とても奇麗です。
「海抜は199・2mですが、橿原神宮が海抜60、70mですから、約130m登ったことになります」

 石垣の跡があります。
「昭和13年まであった山口神社の跡です。『山の口』神社なので、元は山の入り口にあったのが山頂に移築され、後に神武天皇陵や橿原神宮を見下ろすのは申し訳ないと遷宮されました。今は西の下、神様がお祭りの時に外へ出て休憩する御旅所だった所にあります」



香久山から見る耳成山
 続いて、大和三山の三角形の右下にあたる香久(かぐ)山に来ました。
「三山の中核で、歴史上最も神に近い山と扱われました。天香久(あめのかぐ)山とも呼ばれますが、天と付くのは神聖視しているからです。万葉集に『大和には 群山(むらやま)あれど とりよろふ 天(あめ)の香久山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙(けぶり)立ち立つ 海原(うなはら)は 鴎(かまめ)立ち立つ うまし国そ 蜻蛉島(あきづしま) 大和の国は』と詠まれています。国を望むのは天皇の政(まつりごと)、神を祭るのは天皇の第一の仕事です。正月、香久山で統治する大和平野を望み、大和の山の中でも秀でているのが天香久山で、国原、つまり農村にかまどの煙が立ち、海原、つまりこの前方にあった埴安(はにやす)の池にカマメ(ユリカモメ)がいるの見た。平和な国を誇り、神に豊作と無病息災を願ったんです」


藤原宮跡(大宮土檀)
 天香久山の北西に藤原宮跡があります。藤原宮は藤原京の皇居で、中心施設の大極殿があった場所は大宮土壇と呼ばれ、今は森のようになっています。持統天皇の歌に『春過ぎて 夏きたるらし 白たへの…』という、衣が干してあるのが見えるという歌があります。山の上の衣が見えるのかと思いましたが、香久山そのものがすぐそこに見えます。ここから南の方を見晴らすと、やっと都を造れたという思いになったのでしょう。
「でしょうね。飛鳥は都城制ではなく、碁盤の目の道状に造った都は藤原京が初めてです。律令体制の確立も大きな意味を持っていました」


山頂近くにある耳成山口神社への参道
 最後は、大極殿跡の真っすぐ北に位置する耳成(みみなし)山です。山頂には木が生い茂り、見渡すのは難しそうです。
「標高139・7m、三山で一番低い山です。名前の由来は分かりませんが、万葉集に『みみなし』『みみなり』などと表現した歌があり、耳梨など当て字でも詠まれています。耳成山口神社が天神さんと呼ばれるため『天神山』とも、クチナシの木が多かったようで江戸時代には『クチナシ山』とも言われました。また、古代には青菅山(あおすがやま)とも言われて神聖視され、七つの井戸もありました。今も一カ所だけ水が沸き、神聖な水としてお祭りで使っています。耳成山は伝説や歴史が少ない所ですが、大和三山は三つ踏破してこそ価値があります。ここへもぜひ登ってください」


耳成山口神社
 
  橿原市観光ボランティアガイドの会
 ■料金/ガイド無料、交通費ガイド1人1000円
   *食事をはさむ場合は要食事代
 ■問い合わせ・申し込み/
   橿原市観光協会0744-28-0201(平日のみ)
    *約1週間前までに予約


新しく開通した南阪奈道路を走り、大和三山を制覇しました。実際にその場に立ってみると、本で読んだりするのとは全然違うことを実感します。古人(いにしえびと)に思いを馳せながら、素晴らしい夕日を見るのもお薦めです。