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湖北の道を染める4000本の紅葉トンネル
今回は晩秋一番の楽しみ、紅葉を見に行くことにしました。大阪は山が近く、近場でも紅葉を楽しめますが、思い切って滋賀県の湖北へと足を延ばします。




米原ジャンクション
 
 名神高速から米原ジャンクション経由で北陸自動車道に入りました。目指すは北国街道の宿場町、滋賀県木之本町の木之本インター。その木之本の次の敦賀インターは、何年か後、舞鶴若狭自動車道が小浜西から東に延び、敦賀で北陸自動車道とつながって、敦賀ジャンクションになります。兵庫県や京都府西部から北陸方面に行くのに大変便利になる上、東海地方の人にも、若狭の奇麗な海や京都北部の美しい景色を、もっと楽しんでもらえるようになります。

   湖北きっての紅葉ポイント
 
鶏足寺の紅葉(写真提供:木之本町観光協会)
 石段が続いて紅葉(もみじ)がトンネルを作っています。木之本インターを降りて10分、車を置いて徒歩15分、湖北きっての紅葉の名所「鶏足寺」に来ました。苔(こけ)むした石段の両側の紅葉(もみじ)が見事です。木之本町観光協会副会長の谷口實さんに伺いました。
「紅葉(もみじ)は参道の両側に300本ぐらいあり、そのうち大体200本が100年近くたつ古木です。11月20日から25日ぐらいが見ごろでしょうが、24〜25日には落ちている葉の方が多くなり、下にびっちり敷かれた様子は風情があります。適度に雨が降ると、見ごろが半月ぐらいあったりします。落葉も枯れ葉のようにならず、赤いままで奇麗です。参道の座石も苔むして、緑と散り紅葉(もみじ)の赤の取り合わせが絶妙です」

かつての鶏足寺はこの山の上にあった
 鶏足寺の歴史について伺いました。
「724年、奈良時代の僧侶の行基が開きました。799年に最澄が再興し、『鶏足寺』と名付けたと書かれた古文書があります。鶏足寺は、昔は標高850mほどの位置にありましたが、戦後、ここに下ろされました。ここは、昔は鶏足寺別院の『飯福(はんぷく)寺』で、僧兵がかなり多くいた大寺院でした。若狭に近い関係で、大陸文化や仏教の定着が早く、渡来仏といわれている珍しい仏像もあって、今は収蔵庫の『己高閣・世代閣』で拝観できます」

 鶏足寺という名も大陸的です。
「釈迦の第一の弟子、カーシャバが亡くなった山を梵語で『クツクツダバダ』といい、これを唐の言葉に訳すと『鶏足』となり、最澄がそれから名付けたようです」

   “天下分け目”の賤ヶ岳
 
賤ヶ岳からの琵琶湖の眺め
 いい眺めです。鶏足寺から車で西へ15分ほどの賤ケ岳(しずがたけ)です。
「琵琶湖八景の一つです。西に琵琶湖、東に伊吹山があり、小谷城のあった山や湖北の田園地帯が絶景ですね」

 360度見渡せて、水をたたえた余呉湖、田園地帯、琵琶湖などが続いています。標高422mの賤ケ岳は、「賤ケ岳七本鎗」で知られ、羽柴秀吉と柴田勝家による信長の後継者争いの地です。
「賤ケ岳を北へ下ると余呉湖で、その周辺が決戦場でした。この近くの大岩山を守っていた中川清秀が、柴田方の佐久間盛政に攻められていると聞いた秀吉は、急きょ大垣攻めを中止して、中仙道や『北国脇往還(北国街道の脇街道)』を通って帰り、柴田方を破りました。秀吉の本陣は木之本地蔵院、勝家の本陣は余呉湖からまだ北の玄蕃尾城(げんばおじょう)で、今も敦賀と余呉町の境の山に城跡が残っています」