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和歌山県下津町は日本のミカン発祥地 |
<海南自動車道路の地図はこちら> |
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それがこの地に植えられたのは何故でしょう 「持ち帰ったものの、垂仁天皇は前年に亡くなっており、田道間守命はタチバナを御陵(奈良市・近鉄尼ケ辻駅近く)にささげ、嘆き悲しんで亡くなったそうです。そして、そのうちの6本が、ミカンの栽培に適した下津町橘本に植えられ、そこが当神社旧社地の『六本樹の丘』となりました」 田道間守命はどんな方だったのでしょう。 「但馬の国、今の兵庫県の知事のような役職に就いていた方で、新羅国天日槍(あめのひぼこ)の末裔(まつえい)と伝えられています」 境内にタチバナの木があります。 「樹齢40年ほどで、今はまだ小さな緑色の実ですが、12月ごろから色づきはじめ、3月ごろに最も色づき、5月ごろ自然に落ちます。酸っぱくて食用にはあまり向きませんが、非時香菓の名の通り、いい香りがします」 |
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紀伊国屋文左衛門、伝説の船出 | ||
橘本神社から西へ10分走って、下津港に出ました。北に突き出ている半島の付け根あたりに、「紀伊国屋文左衛門頌徳碑(しょうとくひ)」があります。ここから嵐を突いて江戸へミカンを運んだといわれているのが紀伊国屋文左衛門。天然の良港で地元の温州ミカンを出荷していた下津港ですが、江戸時代に海が荒れ、航路が途絶えてミカンを江戸に運べなくなった年があり、地元でミカンの値が暴落しました。文左衛門は死を覚悟して下津から江戸へミカンを運び、巨万の富を築いたと伝えられています。 |
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