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ドライブ旅行2日目は、南紀の海から熊野の山へ
1泊ドライブ旅行2日目のスタートは中辺路(なかへち)町です。今回は国道311号を東へ走ります。この道も前回走った国道42号も、地図には「熊野街道」と書いてあります。実は、熊野街道は複数のルートがあり、311号は「中辺路」、42号は「大辺路(おおへち)」と呼ばれています。海岸線が続く42号に対し、今度はは山の中の険しい道です。

   熊野街道縁起  <中辺路町の地図はこちら>



昔のままの姿で残る熊野街道(中辺路町)

 中辺路町営の施設「熊野古道館」に来ました。木造で天井が十二角形。中には熊野街道の資料が展示されています。「語りべ」の小松勇二郎さんに伺いました。熊野街道(熊野古道)は、どんな道なんでしょうか。
「本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社という、熊野三山への参詣道です。6ルートあって、京都や大阪から海岸沿いに紀伊田辺まで南下する『紀伊路』、紀伊田辺で山へ入り本宮大社に向かう『中辺路』、海岸沿いに回る『大辺路』、高野山から本宮大社へ向かう『僧侶の修行道』、吉野から険しい尾根を通る『山伏の修行道(大峯道)』、本宮と那智を結ぶ『峠越えの道(大雲取越(おおくもとりごえ)、小雲取越(こくもとりごえ))』、さらに、志摩半島から伊勢を経由して熊野に入る『伊勢路』です。江戸時代には関東からの遍路が、『伊勢路』で速玉大社、那智大社、本宮大社と巡り、紀三井寺方面に向かいました。なお、最も多くの人が通ったのが中辺路ルートです」

 

 

 

 

 

 

 

 






現代の熊野街道である国道311号(本宮町)

 昔の中辺路は残っているのでしょうか。
「滝尻から本宮大社、そして那智大社まで、そっくり保存されています。国道311号は谷底を通っていますが、熊野街道は山頂をたどる、地図上の東西真っすぐな最短ルートです」
熊野古道には「王子」というのがたくさんあります。
「九十九王子といわれますが、正確には九十七です。熊野の神々の分身、神々の子を道々の社にお招きしています。一種の遥拝所、遠くから本宮大社を拝む支社、末社です。一気に本宮大社へ行くのは大変なので、王子ごとに区切りをつけて熊野へ向かいます。紀伊路から紀伊田辺、紀伊田辺から中辺路ルートに集中し、速玉大社から那智大社の海岸沿いにもあります」
 熊野街道はいつごろ出来たんですか。
「平安時代以前は山伏や僧侶の修行場だったと思いますが、平安後期に上皇たちが頻繁に熊野詣をするようになって広まりました。戦国時代は途絶えましたが、関ヶ原の戦い以後は、関東から続々と来るようになりました」
 国道311号は、以前はすれ違うのも大変な道だったようです。
「熊野体験博に向けて、全線2車線に整備されました。以前は中辺路の野中と本宮間の小広峠が難所で、1時間半以上かかりましたが、今は30分ちょっとです。車で移動し、国道を拠点に所々歩いて熊野古道が散策できます」



 熊野古道館
■開館時間/9:00-17:00
■休館日/年末年始
■入館料/無料
■TEL /0739-64-1470


  熊野街道をハイキング


険しい山道の続く熊野街道


 熊野古道館の目の前に滝尻王子がありました。滝尻王子は王子の中でも格の高い社で、鳥居、本殿、拝殿があります。ここからハイキングコースになっていて、500mごとに「熊野古道」の表示があるようですが、ここから500mが難所なんだそうです。「乳岩」と「胎内くぐり」まで0.3 kmと書いてありますが、険しい石段です。

 少し上がってきただけなのに、川も国道も遥か眼下になりました。着きました。「胎内くぐり」の巨大な岩。くぐると安産になるそうです。真っ暗で狭い。手が地面に着くほどかがみます。わずかに光が見えます。お尻がつかえそうです。本当にくぐれるんでしょうか。