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  1万平方mの「花の海」    <柳生街道の地図はこちら>


取材日はまだまばらだったハナショウブ

 柳生街道の終点、奈良市柳生町。険しい山道が終わり、畑や田んぼ、民家のある里の風情となりました。見どころの一つ「柳生花しょうぶ園」で、平尾晋園長に伺いました。
「広さは1万平方m、ハナショウブは465品種、80万本以上あります。今年の見ごろは、6月15日前後ですね。全部咲いたら、花の海みたいな感じですよ」

 菖蒲湯に入れるショウブとハナショウブとは、別物のようです。
「全然別の品種です。ハショウブといって、お風呂に入れても、葉っぱを折っても、いい匂いがします。ハナショウブは全く匂いません」



*柳生花しょうぶ園の公開は6月30日で終了しました。

 

 

 

 

 

 

 

 




  武蔵vs石舟斎?    


芳徳寺に残る柳生藩印

  芳徳寺は、花しょうぶ園の向かいの山にある柳生家と関わりの深いお寺です。ご住職の橋本紹尚(じょうそう)さんに伺いました。
「寛永15(1638)年、柳生宗矩(むねのり)公が、父・石舟斎の菩提を弔うために創建し、沢庵和尚が開山しました。柳生家代々の墓は84基ほどあります。柳生十兵衛の使った柳生杖(づえ)、新陰流の兵法目録、よろい、藩印、藩札などもあります」

 中興の祖・石舟斎(柳生宗巌)以前の柳生家のことを聞いてみました。
「平安時代、大和で東大寺領、興福寺領、春日領など誕生します。柳生は春日領となり、柳生を治めるために来た人が柳生家の始まりです。藤原や菅原、平氏を名乗っていましたが、奈良時代からは柳生を名乗りました。地名としての柳生が既にあったので、それを名字にしたのでしょう」

 

 

 

 

 

 

 

 






今もある正木阪道場


 宮本武蔵と石舟斎は、実際に対決したのでしょうか。
「吉川英治先生の原作では、武蔵は石舟斎に会えず、石舟斎が切ったシャクヤクの枝の切り口を見て達人と悟って帰りますが、実際は、試合をしたのか、ここへ来たのか、分かりません」

 今でも柳生藩の正木坂(まさきざか)道場が残っています。
「江戸時代の道場は明治になくなりましたが、昭和40年ごろ、天保年間の建物をここへ移築して道場を再建しました。剣道や古武道をしている人が各地から来たり、夏には子供たちが宿泊して練習したりします」

 

  芳徳寺
■拝観時間/9:00-17:00 *11〜3月は16:00まで
■拝観料/大人200 円、高校生150 円、小中学生100 円
■TEL /0742-94-0204

 

 

 

 

 

 

 

 















最後に、芳徳寺近くの「一刀石」に来ました。横2m、縦3〜4mもの石が、見事に縦に割れています。一説には、石舟斎が修行中に天狗だと思って一刀両断にしたら、この岩だったとのことです。剣聖の里らしい逸話です。