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武蔵が歩いた道をたどる
今回は、奈良市の“剣豪の里”を訪ねる道です。今、宮本武蔵など剣豪ブーム。そこで、剣豪たちが続々歩いたという、柳生への険しい山道「柳生街道」をたどることにしました。

 

  剣豪の道は石仏の道   <柳生街道の地図はこちら>



能登川沿いに続く柳生街道

 阪神高速環状線から第二阪奈道路、国道308号、369号で奈良市東部の高畑町に来ました。車を置いて、歩いて柳生街道へ。そこは能登川が流れ、木が生い茂る山の中。滝が多く、滝坂の道と呼ばれている道を歩きます。ここは、平安から鎌倉時代にかけて、東大寺や興福寺など「南都七大寺」の僧侶たちの修行の場だったため、石仏が多いそうです。“剣豪の道”となったのは、後の時代のことです。

 15分ほど上りました。大小の滝の水が岩盤に跳ね、照り返しがきれいです。土の道は途中からごつごつした石畳となって、つまずきそうです。「寝仏」の表示がありました。大きな石の裏に彫られているのは大日如来でしょうか。寝姿ではなく、立ち姿で彫られていて、その石が転がってきて横になった感じです。
 30mほど上ると、岩に彫られた磨崖仏がありました。夕日が当たると神々しさが増すため「夕日観音」と呼ばれていますが、実際は弥勒菩薩で鎌倉時代のものです。その右側の斜面中腹には「三体地蔵」、その上には「滝坂地蔵」もあります。

 

 

 

 

 

 

 

 





首切地蔵


 夕日観音から10分ほど上ると、今度は「朝日観音」という磨崖仏が見えてきました。高円(たかまど)山の頂から昇る朝日に真っ先に照らされるため、こう名付けられたそうです。作者は夕日観音と同じで、こちらも実は弥勒菩薩です。

 朝日観音を出てかなりきつい坂を上ると、大きなお地蔵様が立っていました。有名な首切地蔵です。分かれ道にあるため、昔から街道の目印になっています。首の部分で折れ、赤い布が掛けられていますが、これは柳生十兵衛に学んだ荒木又右衛門が試し斬りした跡と伝えられます。説明によると、この道は昭和初期まで、柳生から奈良へ、米や薪、炭を牛馬で運んで行き、帰りに日用品を持ち帰った生活道路でした。


  剣豪も一服


峠茶屋

 石切峠に入り、舗装道路の急な坂になりました。カーブを回ったところに、二階建ての木造の建物が出現。「峠茶屋」です。古そうな看板、並ぶ縁台、そして座敷スペースがあります。
 中に入って「名物わらび餅」を注文すると、出てきたのは、きな粉とお砂糖がたっぷりかかった、羊かん1本分の大きさがあるわらび餅。
「大きいですやろ。自家製わらび餅です」
 そう言いながら出してくれた清水晃さんにお伺いしました。まずは店名から。
「店名は看板通り『峠茶屋』です。180年前から店をしています」

 

 

 

 

 

 

 

 






武士が置いていった鉄砲や刀

 座敷の鴨居のところに、刀や鉄砲がケースに入っています。
「時代は分かりませんが、昔の侍が飲み代のかたに置いていったそうです。奥の部屋にある『神道無念流』の巻物もそうです」
 ここから柳生までは、どれぐらいだろう。
「12km、歩いて4時間です。手前の円成(えんじょう)寺までが1時間半です」

 石切峠は、柳生へと向かう人にとって第一の難所。こうやってほっとできる場所が守り継がれているのは、素敵なことです。

  峠茶屋
■毎日、日没まで営業(原則無休)
■TEL /0742-81-0498