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北山杉の知恵    <周山街道の地図はこちら>


小説「古都」の舞台となった中川


 国道162号・周山街道を北上し、北山杉の産地・中川へ来ると、旧道に入って、川端康成の「古都」の舞台となった街を通過。

 また国道の本道に戻って、小野郷に到着しました。ここには、北山杉の里「北山グリーンガーデン」があります。その中の施設の一つ「北山杉資料館」で、社長の森下秀樹さんに伺いました。
「この辺りは、主に床柱を生産しています。北山杉といっても、北山杉という種類があるわけではなく、磨き丸太や床柱の太さになるよう人工的に作った北山産の杉が、北山杉です」

 

 

 

 

 

 

 

 



北山杉資料館の展示

 そのために必要な手入れはなんでしょう。
「枝打ちです。葉が多い木は太り、少ない木は太らない。それを利用して4年に1回程度、枝を払って葉の量を調節します。床柱は、座敷の広さごと、例えば、6畳には10センチ、8畳には12センチ、10畳には15センチの太さがあいます。初めからその太さになるように、枝を払います。そして、20mほどの杉を3mずつに切断ますが、下の太い部分は10畳用、次を8畳用、その次を6畳用に使います」

 始まりはいつごろだったんでしょう。
「室町中期、600年から700年ほど前ですかね。当時、数寄屋造りが茶の湯と共に発達しました。数寄屋造りは丸太を使います。それと同時に北山の丸太作りも始まったと考えるのが普通です」
 どのように京都へ運んだのかが気になります。
「女性が2〜3本頭に乗せて、売りに行ったようです。頭に乗せるのが一番歩きやすい。世界的にもそういう風習があり、道理にかなっています。肩で運ぶと歩けません。周山街道は新しい道ですが、以前からある京道街道や菩提道を通り、千束(せんぞく)や鷹峯(たかがみ)まで運んでいたようです」

 北山杉資料館
■開館時間/9:00〜17:00
■入館料/大人300 円、中高生250 円、小学生以下150円
■休館日/年末年始
■TEL /075-406-2241

 

 

 

 

 

 

 

 
















  そして、周山へ  


周山地区

 小野郷から峠を越えると京北町周山。弓削川と上桂川(大川とも呼ばれる)沿いに田園が広がります。雪が多く、急勾配の茅葺き屋根の民家が点在し、日本の風景そのもの。明智光秀の周山城があったため、周山の地名がつきました。

 国道162号を周山中心部で東に折れると、山国です。山国郷と呼ばれててきた歴史的にも有名な地区で、京都の時代祭の行列で先頭を行く隊列は、ここの山国隊です。
 山国神社にいますが、ここも古くて、平安遷都に先立つ宝亀年間、既に平安京の大内裏造営の木材を徴収する御杣(おそま)御料地に定められ、宮中の木工寮修理職がここを建てといわれています。最初は、和気清麿(わけのきよまろ)公が奉仕したようです。祭神は大国主命なので、木を切り出すにあたって、山の神を鎮めるために建てられたのでしょう。


常照皇寺
大川沿いに東へ5分。臨済宗天竜寺派の禅寺、常照皇寺に来ました。元は天台宗系のお寺で、廃寺となっていたのを、光厳法皇が貞治元(1362)年、常照皇寺と改めて修行場としました。光厳法皇は、鎌倉幕府14代執権・北条高時に擁立された北朝最初の天皇。後醍醐天皇の南朝に対抗して足利尊氏が光明天皇を立てると、上皇となって15年間院政を行いました。北朝消滅後は、吉野に幽閉され出家。5年後に京に戻った後も、僧として生きる道を選び、法皇としてこの地で修行したものの、2年後に生涯を閉じています。
 ここにある「九重桜」は国の天然記念物。後水尾天皇が、その美しさに何度も車を返したことから、「御車(みくるま)返しの桜」といわれ、季節になると大いににぎわいます。

周山街道は、京都で有名なツーリングコースの一つでもあります。バイクに乗っている人が集まるログハウスの喫茶店もあります。京都の歴史とツーリングの道・周山街道を、ぜひ一度走ってみてください