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ドライブにもツーリングにも人気の道
周山街道は京都と若狭を結ぶ120キロの道で、国道162号とほぼ一致します。京都と若狭を結ぶ道では「鯖街道」が有名ですが、周山街道は鯖街道より西、京都市北西部から北へ延びる道です。やはり日本海の幸や塩を運んだ、もう一つの“鯖街道”です。

  街道の起点    <周山街道の地図はこちら>


仁和寺


 京都市右京区御室の仁和寺。衣笠山を背景に、広大な寺域が広がります。仁和寺は、菅原道真を抜擢したことでも知られる宇多天皇が、仁和4(888)年に創建しました。宇多天皇は、天皇の位を13歳の醍醐天皇に譲って上皇となり、その後出家して、この仁和寺で30年余り真言密教の修行をしました。法皇という立場になった最初の上皇です。この辺りは、宇多天皇が僧坊、つまり「室(むろ)」を持ったことで御室といわれ、仁和寺も御室御所とも呼ばれました。
 明治維新までの千年、天皇家から住職を出す門跡寺院にもなった仁和寺。玉砂利の道、白壁、優雅な庭と御殿があり、山すそのお寺というより御所という雰囲気です。
 お寺の前は、金閣寺から嵯峨、嵐山をつなぐ観光道路。今日は、ここを周山街道の京都側の起点とし、少し西に行ったところにある国道162号を北上します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 





  高山寺、「清人」の庵


周山街道・栂尾

 道の両側は緑のモミジ。国道162号を高雄の手前まで来ています。高雄(高尾)、栂尾(とがのお)、槇尾(まきのお)と、すべて「尾」が付く地域には、それぞれ有名なお寺があります。高雄の神護寺、槙尾の西明寺、栂尾の高山寺。この辺りは、平安時代以前から、仏教修行の地として知られていました。

 杉木立とモミジの緑が薫り漂う高山寺。目前の山並みと清滝川が美しい景勝地で、世界文化遺産に指定されています。
 高山寺は奈良時代の宝亀5(777)年、神願寺都賀尾坊(とがのおぼう)として開創され、後に天台宗の寺になりました。鎌倉時代の建永元(1206)年、荒れ果てていたこのお寺を、明恵(みょうえ)上人が華厳宗の根本道場として再興し、高山寺としました。

 

 

 

 

 

 

 

 




高山寺石水院の鳥獣人物戯画(複製)


 明恵上人は紀州生まれ。8歳で両親と死別して高雄山神護寺で修行し、16歳で出家しましたが、僧の身分を捨て故郷の山に庵を結んで修行を積んだ後、10年ほど各地を遍歴しています。そして、高山寺再興後も、裏山の草庵で修行。弘法大師、道元禅師と並ぶ三大清人といわれています。しかし、女性に人気のあった明恵上人は、19歳から亡くなる60歳まで書きつづけた日記「夢記」に、煩悩に苦しむ自分の姿もつづっています。
 高山寺は「鳥獣人物戯画」で知られ、石水院に複製が飾られています。甲乙丙丁4巻で、甲と乙は平安後期の画僧・鳥羽僧正覚猷(かくゆう)の作という説が有力ですが、残り2巻の作者はまだ不明です。実物は、東京と京都の国立博物館に保存されています。