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それは西国から江戸へ向かう“正規ルート”
今回は兵庫県御津町室津を訪ねます。御津町は姫路市の西、瀬戸内海に面した町です。室津地区は港町で、江戸時代に多くの要人がここに上陸し、「室津街道」を歩いたそうです。明治時代に使われなくなったこの室津街道を、最近、町づくりグループが復活させました。



  海と陸の接点   <室津街道の地図はこちら>
 

三方が山で「室」になっている室津

 山陽自動車道龍野西インターから15分、峠を越えると海が広がり、下っていくと室津に到着です。山に囲まれた入り江を持つ漁港で、ここには室津街道にまつわる歴史や遊女発祥の伝説が残っています。町づくりグループ「嶋屋」友の会事務局長の柏山泰訓さんに伺いました。
「室津が最初に歴史に登場するのは奈良時代の『播磨国風土記』で、『この泊まり風を防ぐこと室(むろ)のごとし』が名前の起こりとあります。『泊まり』は船が泊まる所、『室』は家で、三方を山に囲まれ家のようだということです。奈良時代、僧の行基が難波津(なにわづ)から瀬戸内海を通り、九州、中国へ行く時、摂津の国と播磨の国に船を停泊するための五つの港『摂播五泊』を定めました。『河尻(尼崎市)』、『大輪田(神戸市兵庫区)』、『魚住(明石市)』、『韓(姫路市)』、そして『室(室津)』です。他は埋め立てられましたが、室津は唯一当時の形を残す1300年の歴史がある港町です。最も栄えたのは江戸時代で、参勤交代の時、九州、中国、四国の大名は船で瀬戸内海を渡って室津で下船し、室津街道から山陽道へ出て江戸へ行きました。帰りも室津から船。室津は海と陸との接点で、“海駅”の町です」



室津港

 なせ船でもっと東に行かなかったのでしょう。
「室津から西はリアス式海岸で入り江や島が多いんですが、東は島が淡路島だけ、海岸線も遠浅が多くて船の停泊に適さないため、緊急避難の場所がなく、室津で下りたわけです。本陣も多い時で6軒ありました。本陣は宿場町に1軒が原則、多くても2軒か3軒で、全国的にも珍しいようです。風が吹くと大名も船を待たなくてはいけないため、2〜3日滞在することがあったからです」


  室津街道を歩く  
 

室津街道

 町の北側が山になっていて、国道250号から徒歩で室津街道に入りました。
「街道の本当の起点は町中ですが、途中にある国道に入り口を示す標識を立てて、誰でも入れるように竹を切って街道への道を私たちが造りました。室津街道はこの山を登り、鳩ケ峰という峠を越え、隣の揖保川町へ下って揖保川を渡り、山陽道へ出る道です。私達が整備したのはそのうちの約2km。冬の間に月2回、2年半かけて、『嶋屋』友の会のメンバーが昔の地図を頼りに竹や木を切りました。『嶋屋』友の会は、平成9年に町が廻船問屋『嶋屋』の建物を買い取ってオープンした資料館『室津海駅館』の友の会です」


お茶屋跡
 室津街道のお薦めポイントを教えてもらいました。
「江戸末期の医学者シーボルトが、頂上付近に茶屋があって瀬戸内海が一望できると書き残していて、そこだと思われる眺めのいい広場に『お茶や跡』と名付けてベンチも造りました。江戸時代、出島に滞在が許されたオランダ人は、江戸参府といって、年に一度、土産を持って将軍のところへ出向きました。兵庫から行く道もありましたが、シーボルトは室津で上陸して、歩いた室津街道のことも書き残しています。あと、街道で一番高く、瀬戸内海が一望できる『見晴らし峠』と名付けた所もお薦めです」
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 素晴らしい眺めです。「お茶屋跡」まで登ってきました。
「石組みがあって、建物が建っていた形跡があります。江戸中期の鍋島藩の焼き物の割れた食器も出土していますので、茶屋のようなものがあったと思えます」