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   「町石道」を歩く    

 

町石道・四十二町石


 町石道を歩いています。国道480号と370号が高野町花坂交差点で合流しますが、そこから10分ほど走ると370号と町石道との交差地点があります。車を置き、歩いて41町石まで来ました。町石は慈尊院から高野山の大門を入ったところまでに180あり、すべて現存しています。段々数字が減っていき、大門奥に1町石があります。しかし、その近くに1町石がもう一つあって、今度は数が増えていき、36町石目の「奥の院」へと続きます。


   真言密教の総本山「金剛峯寺」   <金剛峰寺の地図はこちら>

 

高野山・根本大塔
 ついに高野山です。1町石も、大門の近く、「金堂」と「根本大塔」の前の道沿いにちゃんとあります。お話を高野山真言宗総本山金剛峯寺奥之院・維那(ゆいな)の日野西眞定(ひのにししんじょう)さんに伺いました。まずは、弘法大師が最初に高野山に来た時期から。
「弘法大師が高野山をいただくのに書いた天皇への嘆願文の中に、一度来たと記されています。15歳で奈良の大学に入った大師は、大学に飽きたらずに辞めて、庶民的な宗教者のグループに入ります。そして、若い時に行をしながら四国の山々や大峯山などを回りました。その時、高野山にも来たと思われます」


高野山・奥の院
 高野山は他の霊場と違って町のようになっています。
「それが面白い点です。山岳霊場は結界を作って、女人禁制などのタブーを設けます。しかし、高野山は結界の中に僧だけでなく町人も住んでいます。それに対して、比叡山は結界の中に町人も僧も住めず、寺があるだけです。最澄はエリートですが、弘法大師は正式な僧になったのが入唐する32歳の時でした。清濁併せのむ性格だったんでしょう」

 高野山へは七つの道「高野七口」があったそうです。
「七口の一番目は町石道で、正式な参道です。九度山へ通じる裏街道が二番目に盛んに使われた道で、江戸後期にはこの方が大勢に使われました。他に熊野、大峯山に通じる道もあり、それぞれの口に番所として山の堂を作りますが、室町時代に四国、西国などの巡礼信仰が盛んになり、女性を含めた一般の人が参詣し始めると、山の堂が女人堂になっていきます。ほとんどの山岳霊場は明治5年まで女人禁制で、女性は女人堂に泊まり、山道を歩いて修行しました。山のふもとに女性が信仰する場を作ったわけです」

 世界遺産になるかもしれない点についてひとこと。
「世界遺産登録は一つのけじめになり、高野山のプラスになると思います」



  総本山金剛峯寺
 ■拝観時間/8:30〜16:30 *入山は16:00 まで
 ■拝観料/大人500 円、小中学生200 円
 


千年近く燃え続けている「白河燈」

最後は、奥の院にある「灯籠(とうろう)堂」に入りました。この奥にある弘法大師御廟をお参りするところです。2万灯以上もの灯ろうが納められていて、白河法皇自らが灯し、千年近く燃えつづけている火もあります。