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それは弘法大師が開いた、高野山への道
関西には国宝の約6割、重要文化財の約5割がありますが、世界遺産の数も全国一で、日本にある11の世界遺産のうち、法隆寺地域の仏教建造物など四つが関西にあります。しかも、「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」が、昨年、登録推薦されました。今回はその一つ、高野山を訪ねます。



  女人高野「慈尊院」   <慈尊院の地図はこちら>
 

慈尊院

 今年6月開催予定の世界遺産委員会で検討対象となる「紀伊山地の霊場と参詣道」の所在地は、和歌山、奈良、三重の3県29市町村に及びます。具体的には、修験道の拠点「吉野・大峯」、熊野信仰の中心地「熊野三山」、真言密教の根本道場「高野山」の三つの霊場と、吉野・大峯と熊野三山を結ぶ「大峯奥駈(おくがけ)道」、中辺路や小辺路など「熊野参詣道」、「高野山町石(ちょういし)道」の三つの参詣道です。

 国道370号で和歌山県橋本市から九度山町に入り、「慈尊院」に到着しました。ここも世界遺産登録に推薦されたお寺です。高野山は弘法大師(空海)が唐で学んだ真言密教の山岳修験道場として816年に創建した「金剛峯寺(こんごうぶじ)」を中心とする霊場で、慈尊院はその表玄関として創建されました。弥勒菩薩(みろくぼさつ)が祭られ、布製の乳房形の物が多く奉納されています。



百八十町石

 昔、女性は高野山に入山できず、ここ慈尊院で安産や授乳、育児を祈願したため、女人高野と呼ばれています。大師の母親の菩提寺でもあります。

 慈尊院境内の階段を上がると、途中にやはり世界遺産登録に推薦された「町石道」があります。町石道はここから高野山までの約20kmの道で、弘法大師が道標を置きながら開きました。鎌倉時代に五輪塔型の石塔が1町(約109m)ごとに建てられたため町石道と呼ばれていて、180町石がここに建っています。


  高野山はここから始まった  <丹生都比売神社の地図はこちら>
 

丹生都比売神社(天野神社)
 慈尊院から西へ走り、かつらぎ町に入って南へ下ると、標高500mの山里「天野の里」に出ました。ここにも、世界遺産登録に推薦された「丹生都比売(にうつひめ)神社(天野神社)」があります。権禰宜(ごんねぎ)の仲谷健誠さんに伺いました。
「創始ははっきりとは分かりませんが、日本書紀に約1700年前の神功(じんぐう)皇后時代に天野の神主が住んでいたという記述があることから、それ以前からあったようです。境内には第一殿から第四殿まである大社と小さな社があり、大社の祭神は、第一殿が丹生都比売大神、第二殿が高野御子大神(たかのみこおおかみ)、第三殿が大食都比売大神(おおげつひめのおおかみ)、第四殿が市杵島比売大神(いちきしまひめのおおかみ)です。丹生都比売大神は元々水銀を司る神でしたが、後に農業を主体とする文化が発展して水の神に転じ、今は農業信仰の神として祭られています」


丹生都比売神社の太鼓橋
 高野山はこの神社が始まりだったとのこと。
「高野山を開く前、弘法大師がここに建物を建て、後にこの神様の土地だった高野山を分けてもらって、そちらに移したといわれています。別の神社に、丹生都比売、高野御子と大師との出会いを描いた掛け軸が残っています。2人は大師に土地を与え、狩場明神の別名を持つ狩猟の神・高野御子が、連れていた2匹の犬を放って大師を高野山に導いたといわれています」

 世界遺産登録が期待されます。
「世界的に有名になるのはいいことですが、問題は受け入れ態勢です。地元の方もいまいちピンとこない面がありますが、境内の整備や祭りへの協力には積極的ですので、世界遺産になって発展することに貢献しようという意識は強いですね」