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   そうめん発祥の地    <山の辺の道の地図はこちら>
 

山の辺の道でも最も美しいといわれる桧原神社南

 三輪はそうめん発祥の地といわれています。山の辺の道を少し外れた大和川沿いで、あちこちにそうめんが干されているのを見ました。そこで奈良県三輪素麺工業協同組合にお邪魔し、理事長の植田一隆さんに伺いました。
「そうめん作りは11月から3月までやります。元々、農家の副業として始まっているため、稲刈りの後、小麦をまいてそれからそうめんを作り、終わればまた田植えしてという繰り返しです。伝説では、約1200年前、大神神社の初代宮司の子孫である穀主(たねぬし)という方が、農民に小麦作りを教え、小麦を粉にして水で練って保存食にしたのが始まりといわれています。それから工夫を重ねて細く長くしていき、今のような細さになったのは江戸時代でしょうか」



門干(かどぼし)されるそうめん
 どのように全国に広まったのでしょう。
「ここは伊勢街道沿いです。伊勢神宮や長谷寺へのお参りの道中に三輪でそうめんを見て帰り、習いにまた来て技術が広まったようです。だから揖保、淡路島、小豆島、岡山、九州と、西に産地が多いんです」

 三輪の何がそうめん作りに適していたんでしょう。
「いい小麦ができたことと、粉にする石臼を回すのに必要な水車を動かす川の水に恵まれたことです。大正末が一番盛んで、水車業が35軒、そうめん業者が350軒ほどあったようです。さらに三輪山麓からの井戸水やこの地方の冬の乾燥する天候もそうめん作りにマッチしていました」

 そうめんは少し置いた方がおいしいとのこと。
「冬に作り、翌年の夏食べるのが新そうめんで、さらに1年寝かせたものを『ひね』といいます。硬くなっていて、ゆでて時間がたっても延びません。だから、昼にゆがいて食べて残ったら、水を切って冷蔵庫に入れておけば、晩飯に食べても昼と味があんまり変わらんほど延ないんです」

 おいしいゆで方もお伺いしました。
「そうめんをゆでる時は、湯をたっぷり沸かした大鍋に少し入れて強火で2分、そして手早く水で洗います。ゆがき方が命です。にゅうめんでも一度水洗いします。すき焼きにもいいんですよ。ゆがいて、水を切って入れます。夏も冬も三輪そうめんは日本一です」

   御神体は神剣  
 

石上神宮
桧原神社から北へ9km歩き、布留(ふる)山のふもとの高台にある石上神宮に来ました。祭神は剣の神です。神武天皇東征の時、国土平定に功績があった神剣「平国之剣(くにむけのつるぎ)」で、神武天皇は橿原遷都の際、後の物部氏につながる宇摩志麻治命(うましまじのみこと)に命じて神剣と宝を宮中に祭り、崇神天皇の治世、同じく物部氏の祖先が、この神剣と宝物を石上の布留の高庭に祭ったのが石上神宮の始まりとされます。元々本殿はなく、剣が埋められたとされる拝殿奥の禁足地が信仰の対象でしたが、明治7年に宮司の菅政友(かんまさとも)が発掘したところ神剣が見つかって、その後造営された本殿に納められましたとのことです。
  
 
  石上神宮
  ■0743-62-0900


今日は、古(いにしえ)の道「山の辺の道」を歩きました。古人(いにしえびと)は、この道をどんな思いでここを歩いたんでしょう。