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   「長命水」で寿命も延びる    <北陸自動車道の地図はこちら>
 

氣比神宮にある長命水


 敦賀の中心地の大きな交差点の一角に、巨大な鳥居があります。「けいさん」と親しまれる氣比神宮です。702年建立の高さ11mの大鳥居は、奈良の春日大社、広島厳島神社の大鳥居と並ぶ日本三大木造大鳥居の一つで、国の重要文化財です。ところで、敦賀湾周辺には名水が多いのですが、その一つがここにあります。鳥居をくぐり、拝殿への入口左手に、亀が鎮座し、その口から水が出ています。名水「氣比の長命水」です。神社造営中に突然湧き出し、氣比神宮が無病息災や延命長寿の神であることにちなみ、「長命水」と名付けられました。ひしゃくでくんだ水に顔を近づけると冷たさが伝わり、飲んでみると臭みのないおいしい水で、ちょっと寿命が延びた気がします。

 

 

  右近家の歴史、北前船の歴史
 

北前船の一つ「八幡丸(やはんまる)」の模型
 国道8号と有料の河野(こうの)海岸道路で、敦賀市北隣りの河野村に来ました。越前加賀海岸国定公園の景勝地です。河野村は敦賀湾入り口に位置し、歴史的に多くの船が発着した場所です。車は、河野海岸道路から国道305号に入ってすぐにある、北前船の資料館「北前船主の館・右近家」に到着。下中夕刈(したなかゆかり)さんにお話を伺いました。
「ここは、『北前船の五大船主』に数えられた右近家の本宅の建物です。管理を河野村に委ねて、建物と右近家の廻船経営に関わる資料を展示しています。北前船は、大阪から酒、塩、油など生活用品を積んで北海道の方に運んだ船です。当初は運搬だけでしたが、大阪から日本海へ出て北海道へ行くまで、途中の港で積み荷を売買しながら航行するようになりました。北海道から戻るときは主にニシンを積んできました。本土で肥料としての需要が高く、利益も大きかったようです。当初は1年間1往復でしたが、明治になると西洋型帆船の登場でスピードアップし、2往復することもあったようです」

 

 


船のぼり
 この辺りは、なぜ海運業が発展したんでしょうか。
「敦賀湾の入口であり、集落が海に向かって開けていたので海運業がしやすく、また越前の中心地・府中(今の武生市)が近いという地理的条件が非常に大きかったと思います。右近家は、元は近江商人の荷を運ぶ『荷所船(にどこぶね)』をしていましたが、近江商人が衰退したため、9代目の右近権左衛門が『買積み商い』を始めました。さらに、問屋との共同廻船などで経営も安定、拡大しました。しかし、明治になると蒸気船の出現や電信などによる情報の近代化で、価格の地域差がなくなってきたため、10代目が西洋型帆船や蒸気船で運賃を稼ぐ経営に変えていきました」

 資料が多数展示されています。伊勢丸や八幡丸(やはんまる)と書かれた6、7mの旗があります。
「『船のぼり』といって船の後ろに付けました。他に、船磁石、消防用ポンプ『龍吐水(りゅうどすい)』、航海図、船箪笥(だんす)、衣装などを展示しています」

   北前船主の館・右近家
 ■開館時間/9:00〜16:00
 ■休館日/毎週水曜日、夏期、年末年始
 ■入館料/大人500円、小中学生300円
 ■TEL/0778-48- 2196

 

 



1年ぶりに福井県を走り、昔は太平洋側から遠いイメージのあった日本海側が、道の整備でますます近くなってきているのを実感しました。日本海側には、絶好の観光ポイントがいっぱい。国道8号沿いの高台にある道の駅「河野」から、見下ろすように眺める敦賀の海も雰囲気満点でした。