ホーム パーソナリティ紹介 これまでの放送-放送日から検索 これまでの放送-地図から検索 H15/3までの放送 番組あてメール ラジオ大阪

「花のみてら」、長谷寺  初瀬街道の地図はこちら>


初瀬街道
 橿原市に戻り、車で桜井市の国道165号、かつての初瀬街道を東へ走りました。この道は、大和と伊勢を結ぶ信仰の道で、多くの神社仏閣が点在します。その一つ、真言宗豊山(ぶざん)派総本山・長谷寺に到着しました。ここはボタンの名所として有名ですが、桜の名所でもあります。そして、今、本堂や五重塔など並んでいる伽藍の間を埋めるように、桜が咲いています。桜、黄色いレンギョウ、濃い緑のツバキ、濃いピンク色の桃など、境内は花木で埋まり、絵巻物のようです。長谷寺の庄博暉(しょうはっこう)さんに、長谷寺の歴史について伺いました。
「開祖の道明上人が、天武天皇のために銅板法華説相図を西の岡に安置したのが起源です。その後、聖武天皇の勅により、徳道上人がここ東の岡に十一面観世音菩薩様を祀(まつ)りました。徳道上人は、西国三十三観音霊場を造った方です。爾来1300年、長谷寺は観音信仰の宗家です」

 

 

 

 

 

 

 

 

  


長谷寺では桜が咲いていた!
 本尊の十一面観世音菩薩像と本堂は、重要文化財に指定されています。
「日本の宗教文化屈指の建物とご本尊様です。ところが今年3月、樹齢百年の木が風で倒れ、本堂の西のひさしが破損しました。文化財なので修復に多額の費用が必要で、義援金をお願していましたが、もう各地から心が届いています。本堂は東大寺大仏殿に次ぐ最大級の建造物。野火や落雷でたびたび炎上し、現在の本堂は慶安3年(1650年)に、徳川家光公の寄進で再建されたものです。今は重要文化財に指定されています。一方、ご本尊は、縁起によるとクスノキ製とのことで、御丈は10mを超えます。天文7年(1538年)の作です」

 

 

 

 

 

 

 

 


絵になる長谷寺
 長谷寺は「花のみてら」と呼ばれ、桜も吉野と並ぶ名所です。
「斜面にありますから、とくに美しく見えます。シダレザクラやソメイヨシノなど、7000本近くあり、なかでも樹齢100年を超す5本のシダレザクラが、参道のちょうどよい所にあって、来た人がため息をつく美しさを放っています。『花の寺 末寺一念三千寺 花咲かば堂塔埋れつくすべし』という、高浜虚子の歌そのものです」 最後に、初瀬街道のいわれについてお伺いしました。
「徳道上人が伊勢へお参りしてお籠(こも)りしたとき、夢枕に観世音様が立ったため、お伊勢様(天照大神)と十一面観世音様との一体説が生まれました。伊勢の帰りに長谷へ詣で、長谷へ詣でて伊勢へ足を伸ばす。伊勢と長谷が一体だった時代の道が、伊勢街道、後の初瀬街道であり、古くからの信仰の街道です」


ため息をつかせる桜」

 

真言宗豊山派
総本山・長谷寺

■入山料/大人500円、小学生250円
■拝観時間/7:00〜18:00
■TEL /0744-47-7001                   
                 


後藤又兵衛ゆかりの桜

大宇陀町の「又兵衛桜」
 長谷寺から南へ20分、大宇陀町に来ました。大宇陀といえば「又兵衛桜」。大河ドラマで有名になり、年間10万人もの人が訪れるようになったそうです。後ろは山、両側が棚田。石垣が組まれた所に、桜が1本どんと立っています。シダレザクラで、高さ13mほど。樹齢は300年以上で、迫力十分です。でも、まだつぼみなのが残念。
 又兵衛桜のいわれは、大坂夏の陣で活躍した武将・後藤又兵衛が、この地に落ち延びたという伝説から。桜がある所も、又兵衛の屋敷跡と伝えられています。           

奈良の“桜街道”を存分に楽しみました。吉野山全体の桜、長谷寺の絵巻物のような美しさ、
凛とした又兵衛桜。みんな、語りかけてくるものがありました。