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  模型が伝える、加古川舟運(しゅううん)の苦労。
 
加古川・闘竜灘
 多可町から南に下り、加東市下滝野に来ました。今年3月の合併前まで、滝野町だったところです。ここは加古川の闘竜灘が有名。川底から盛り上がる岩が川をふさいでいるため、先人たちの大変な苦労があったようです。加古川流域での昔の暮らしをしのばせる資料が展示してある「加古川流域滝野歴史民俗資料館」を訪れ、阿江明美さんにお話を伺いました。まず目を引くのは、米俵を積んでいる舟です。
「加古川を上り下りしていた高瀬舟の2分の1の模型で、船大工の指導の下で造った実物と同じ精巧なものです。昭和55年の開館時に造っていただきました。この播磨平野は肥沃(ひよく)な土地に恵まれ、たくさんお米が取れていました。それを積んで高砂の港まで下っていった舟です」


高瀬舟の模型

乗員は「船頭」「中のり」「トモのり」

 どのように運んだのでしょうか。
「文録3(1594)年、滝野から高砂までの『水の上九里八丁(約37km)』において、岩を取り除き、川をさらえて舟の通る道を造りました。また、10年後の慶長9(1604)年には、滝野から上流の氷上の本郷まで、同じように開削をしました。しかし、上流から運ばれた荷物は、闘竜灘があるため少し上の『小揚場(こあんば)』という船着場でいったん揚げられ、下流の舟へと積み替えられて高砂まで運ばれました。一年中ではなく、秋のお彼岸から春先八十八夜までの寒さが厳しい時期にだけ就航していたため、真っ暗な朝4時ぐらいに滝野を出発し、4時間から5時間ぐらいかけて高砂まで行きました。安全を左右するのは、船頭さんの勘の良さや水路(みお)を知り尽くしているかどうかでした」

 

汲鮎漁の様子
 帰りはどうしたのでしょう。
「帰りの荷物を積んでお昼過ぎに出発しますが、小野ぐらいで日没になります。そこで舟を泊めて夕食をした後、船頭さんと『トモのり』さんは宿屋に泊まるんですが、『中のり』さんだけは舟に戻り、荷物の番をしながらむしろを被って寝ました。今は夕方に荷物を発送すれば、翌日にはどこまでも届く時代ですが、先人の知恵と工夫、苦労や生き様などを感じていただけたらと思います」

  ここでは、アユ漁についても展示されています。
「昔の筧(かけひ)漁と汲鮎(くみあゆ)漁の模型を展示しています。当時はすごくたくさん取れていたように聞いています。あちらに昭和の初めごろの写真がありますが、かなり取れていますね。現在は、筧漁のみ観光用に行われていて、タイミングがよければ跳んでるアユが見られるそうです」
 



  加古川流域滝野歴史民俗資料館
 ■開館時間/8:30〜17:00
         (入館は16:30 まで)
 ■休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、
         年末年始
 ■入館料/高校生以上100 円、
         小中学生50円
 ■TEL /0795−48−3422


今回は、杉原川の奇麗な水と闘竜灘の岩の迫力という、二つの川の魅力を発見しました。心残りは、もう少し和紙をうまくすきたかったことです。