ホーム パーソナリティ紹介 これまでの放送-放送日から検索 これまでの放送-地図から検索 番組あてメール ラジオ大阪

 


   人命を救った、黒田庄の渡し舟。    <加古川の地図はこちら>

 

津万井地区の渡し舟
 高砂市からぐっと上流方向、西脇市に移動しました。2005年10月に黒田庄町と合併して新生西脇市となりましたが、来ているのは旧黒田庄町エリアの津万井(つまい)地区、畑瀬橋の下流20〜30mの辺りです。山々に囲まれ、自然いっぱいの中を流れる加古川の堤防横には、津万井と関係の深い舟を収めた小屋があります。津万井地区の副区長、藤本茂喜(しげき)さんにお聞きしました。
「この舟は津万井地区の渡し舟で、長さ24尺(約7.2m)、幅が5尺(約1.5m)、高さが2尺5寸(約75cm)です。黒田庄にあった渡しは4ヵ所で、北から、船町、西澤、大伏(おおふし)、そして、ここ津万井です。津万井には、西脇方面からの山越え道である畑瀬坂があり、加古川に当たったところに、『畑瀬の渡し』が約70年前までありました。基本的には明治45年に木製の畑瀬橋が出来てなくなりましたが、昭和10年に永久橋が出来るまで3〜4回橋が流されたため、その度ごとに復旧するまで使われておりました。なお、地蔵盆に一番近い土曜日に行われる『津万井の日』に、平成16年から、かつて渡し舟があったことを知っていただこうと、また復活させています」


津万井の日で復活した畑瀬の渡し
写真提供:津万井の日実行委員会

 平成16年といえば、台風23号が近畿地方を襲った年です。
「この辺りも大変でした。西脇市街は水浸しですし、黒田庄も大伏や西澤、福地の集落が浸かり、ざっと40軒ぐらいの家が床上浸水しました。ちょうど津万井の日の直後で、大伏と福地から舟を預かっていたため、これはえらいこっちゃと、その日の午後3時ごろに舟を返しに行きました。その後、水が来て福地や西澤が浸かり、その舟が役立ちました。もし、舟を津万井が預かりっぱなしにしていたら、えらい責任問題でした。また、西澤のところに黒田庄の下水処理場があり、そこに大阪から点検に来られた人が1人取り残され、夜11時ごろに渡し舟で助けに行ってほしいという要請がありました。強い北風に流されて舟が進まず、150m行くのに1時間、戻るのに1時間かかりました。竹ざおが底に着かない上、流れが急で大変でしたが、1人の命が助かりました」

 


加古川

 渡し舟の復活は、意義深かったようです。
「我々の世代は渡し舟のことを全く知りませんでしたので、イベントの日には90歳ぐらいの方に昔の津万井のことを説明していただきましたが、不便ななかでよう生活しとったなあと、今の時代につくづく感謝できるような話がありました。今後も津万井の歴史を勉強しながら、温故知新をモットーに、水辺の村らしく、水に親しみ、水を大切するような環境問題等も考えていきたいと思っています」


兵庫県を流れる加古川を訪ねました。加古川に深い歴史があることを知り、川はすべての歴史を見てきているのだということが分かりました。