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  名刹に伝わる、“うそ”の話。       
 

金剛輪寺本堂(国宝)
 宇曽川を上流方向にたどり、愛荘町に入りました。2月の合併前の旧秦荘町エリアにある秦川山(はたかわやま)の中腹に建つ名刹、「湖東三山」の一つとしても有名な金剛輪寺。ここには、1kmほど南を流れる宇曽川に関して歴史的なエピソードがあるそうです。副住職の濱中大樹(だいじゅ)さんに伺いました。
「ここは奈良時代の天平13(741)年、聖武(しょうむ)天皇の勅願によって行基菩薩がお開きになり、平安時代に比叡山の慈覚大師円仁というお坊さんが、天台宗の道場として中興したと言われています。宇曽川とは切っても切れない関係があり、いくつかお話があります。400年以上前に織田信長が攻めて来た時、軍勢が来る前に、お坊さんが本堂や三重塔などの主要な建物を守るため、大小合わせて100以上あった建物のうち、小さな建物に自ら火を放ち、山全体が燃えてるように見せかけて信長を欺きました。信長が宇曽川の辺りで引き返したため、うそをついて焼き討ちから逃れたということで、『宇曽川』と呼ばれるようになったという説もあります」

東近江市・百済寺と甲良町・西明寺と並ぶ
湖東三山の一つが金剛輪寺

 その宇曽川と関わりのある仏事もあるとのこと。
「仏事と言うか神事と言うか、神仏習合の形態をとどめている、この地域の神社の行事になります。毎年9月の第1日曜日、ふもとにある大行社という鎮守の神様の秋祭りの一環として、金剛輪寺の住職が、宇曽川上流の銭取(ぜんとり)という場所にある小さな滝までご祈祷をしに行きます。そちらから、神様を大行社までお連れするという行事です」

 それが始まった理由を示す伝説もあるようです。
「このお寺の七不思議の一つにも数えられている話です。昔、金剛輪寺にはたくさんのお坊さんがいたんですが、その中に大柄で非常に気性の荒い弁慶のようなお坊さんがいました。酒が好きで、暴れては、お寺の人や村人たちを困らせていたそうです。そのお坊さんが宇曽川に沿って歩いていて、銭取の滝のところで、誤って足を滑らして滝つぼに落ちて死んじゃいました。しかし、悪い行いばかりしてたために成仏できず、身体が大蛇になって道行く村人をまた苦しめるようになったそうです。困った村人が金剛輪寺の高僧に大蛇の退治を願ったので、そのお坊さんが滝でご祈祷をされたところ、大蛇は改心し、これからは人々を苦しめるのではなく、水が絶えないよう、お百姓さんが困らないよう、この宇曽川を守ります、と言って、村の守り神になったそうです」

 

岩倉川
 水と関係のあるお地蔵さんの話もあるようです。
「北に流れている川で、宇曽川に合流する岩倉川での、水争いにまつわる話があります。昔、水の権利を確保するために村同士で戦いをした時、お地蔵さんを信仰してた方の村が劣勢になりました。そうすると、相手の村から飛んできた矢を拾い集めるお坊さんが現れ、この矢を使ってくれと持ってきました。それで形勢が逆転し、負けかかっていた村が勝ったため、これはありがたいとお地蔵さんを拝みに村の地蔵堂に入ってみると、お地蔵さんに1本の矢が突き刺さっていたと。矢を拾い集めてくれたお坊さんも、けがをしていたので、おそらくあのお坊さんがこのお地蔵さんだったんだろうということになり、そのお地蔵さんのことを『矢取地蔵』と呼ぶようになった、そういう話があります。お地蔵さんは、今も岩倉川沿いの小高い山の上にある仏心寺に安置されています」

   金剛輪寺
 ■拝観受付時間/8:30〜16:30
 ■拝観料/500 円
 ■TEL /0749−37−3211


琵琶湖へと注ぎ込む宇曽川を訪ねました。琵琶湖での大学生のアドベンチャー、宇曽川にまつわる金剛輪寺の歴史、どちらも実に興味深いお話でした。