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“宇曽”川から出た、本当の話。
滋賀県彦根市を流れる宇曽川。隣接する愛荘町の東端の山中に発し、途中の宇曽川ダムで流れの様子を変えつつ、琵琶湖へと注ぐ約22kmの川。下流域の彦根市では、広い河川敷と自然のままの風景の中を、穏やかに流れる幅20mほどの静かな宇曽川を見ることができます。今年夏、この宇曽川の河口から琵琶湖へと、縄文時代に使われた丸木舟に乗って冒険の船出をした大学生たちがいます。



  大学発、縄文アドベンチャー。     <宇曽川の地図はこちら>
 

宇曽川

 宇曽川の近くにある聖泉大学に来ました。こちらの「地域研究会」のメンバーが、丸木舟で琵琶湖一周を敢行しました。その際のリーダーを務めた、人間学部3年生の渡辺太郎さんに伺いました。
「丸木舟は、当初4人乗りを想定してたんで、木の長さをいっぱいに使って造りました。長さが5m、横幅が80cmです。丸木を製材所で半分に切ってもらった後、チェーンソーやノミなどで彫っていきました。去年の6月ぐらいに話が出て、関わったのは10人ちょっと、平均5〜6人で造って、今年9月に琵琶湖を一周しました」


 


丸木舟はこうして造った
写真提供:聖泉大学

 うまくいくかどうか、不安はなかったのでしょうか。
「周りの人からは、本当に浮くのかとか、これで漕げるのかとか、とくに最初の木の状態の時はよく言われました。彫っていくうち、浮くかもねっていう話に段々なってきましたけど。オールも板を削って手作りしました。去年、テストで宇曽川に浮かべた時、木だから浮くのは当然ですけど、乗って漕げたってことがすごくうれしく思いました。テストの結果、当初予定していた4人より2人の方が効率がいいことが分かり、琵琶湖一周のほとんどは2人で漕ぎ、最後だけ3人乗りました」

 どうして、丸木舟での琵琶湖一周を考えたのでしょう。
「僕が(出身地の)山口で、カヌーを自分たちで造り、湖で漕ぐという2週間のキャンプに参加した話をした時、(地域研究会顧問の)高谷好一先生から、琵琶湖のあちこちで出土してる丸木舟を造って漕いでみれば面白いと言われ、やってみることになりました。幸いにして大学側の協力が得られ、木を丸々1本買ってくれました。大阪湾にあったカナダ産の木で、40万円ぐらいしたそうです。それがなかったら、このプロジェクトは実現しなかったと思います」

前後のバランスが大切
写真提供:聖泉大学

 どんな経路で一周したのでしょう。
「宇曽川の河口からスタートし、時計回りに琵琶湖を南へ下り、琵琶湖大橋の下をくぐってから対岸に向かい、今度は湖北へと回って帰ってきました。予定より1日早い6泊7日となりましたが、前半は慣れないために漕ぐのが大変でした。真っすぐ進むのが難しく、2人が前と後ろできちっと息を合わせてないと、どうしても蛇行し、下手をするとその場でぐるぐる回っていることもありました。一番大変だったのは、湖西の安曇(あど)川の河口付近で、北からの向かい風がきつくて、波をかぶる状態でした。漕いでも漕いでも進まないどころか、後ろに流された時すらあり、また、波をかぶって腰の辺りまで浸水したりもしました。腕がものすごくだるくて、もう漕ぎたくないと思いました」

 

ゴールの様子
写真提供:聖泉大学

 大変ななかで、うれしいこともあったそうです。
「やはり、応援してくれる人たちがいたことです。大学の友達が応援に来てくれたし、全然知らない人たちが湖岸で手を振って『頑張って』と言ってくれるのがすごくうれしかったですね。途中で僕の誕生日があり、誰も何も言ってくれなかったんですが、夕食後に翌日の打ち合わせだと称して集合がかかった部屋で、いきなりケーキが出て歌を歌ってくれました。25年間で一番嬉しい誕生日になりました」

 ゴールした瞬間は、どうだったのでしょう。
「まずは、終わったんだという安心感、それから、やった!という達成感がこみ上げてきました。みんなはしゃいで水に飛び込んだり、かけ合ったりしました。シャンパンシャワーなんかもしました。旅のことは文章にまとめ、大学の機関誌のようなものに発表して、行ってない人たちにも伝えていけたらと思っています」