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  「コイ作りは水作りから」。   

 
吉川さんが生産されたニシキゴイ
 円山川を上流に上り、豊岡市の南隣、養父(やぶ)市に入りました。やって来たのは養父市場地区です。ここでは、「但馬五社」の一つである養父神社と並んで有名なのがコイの養殖。食用のコイはもちろん、鑑賞用のニシキゴイの養殖も行われています。そのニシキゴイ養殖のパイオニア、「双葉養魚」の吉井六郎さんにお話を伺いました。まずは養父市場という地名について。
「昔、養父神社にいろいろな市が立ったわけですね。但馬牛の競り、反物や野菜類、植木、農具の市も養父神社で行われていた。それで養父市場という地名が付いたんだと思うんです」


双葉養魚のコイ養殖場

 町中に疎水が流れているのも気になります。
「元々は、円山川から水を引いたかんがい用水だったんじゃなかろうかと思います。これだけ豊富な水が流れているので、いろんなことに利用でき、随分その恩恵を被っております。子供の時分には、お米を研いで炊く、洗濯、女の方の洗髪などに使われていました。それぞれ家の前に『川井戸』というものがあり、朝起きるとそれで顔を洗い、塩を使って歯を磨きました」

 この疎水の水を利用し、各家庭がコイを飼っていたそうです。
「『コイの溝飼い』と言います。『稲田(とうでん)飼育』といって、田植えをした後に、ふ化したばかりの稚魚を放し、ある程度大きくなったら家の近くの池に持って帰って養殖する。大体2年たてば食用に使えます。コイを田んぼに放すと、稲の虫や根っこの微生物を食べるのか、コイがすごく早く大きくなるんです。その上、養蚕地帯のため製糸会社から出るサナギも餌にしました」

 


ニシキゴイはこの町のシンボル

 吉井さんは、どのように観賞用のニシキゴイを飼い始めたのでしょうか。
「昭和10年、国鉄に勤め、養父駅で小荷物係をしていた私は、小判型のおけが三つ重ねてくくってあるちょっと変わった荷物が夜行列車に積まれているのを見て、車掌に尋ねたところ、コイだと言われました。そっとふたを開けてみたら、白地に赤の柄が入ったものや白地に赤と黒の柄の入った3色のコイが入っていて、仰天しました。養父で養殖してやろうと思い、原産地である新潟県の小千谷(おぢや)まで親ゴイを求めに行きました。ニシキゴイは、大正3年の『東京大博覧会』に出されて天皇杯を取って注目され、昭和5年には種類の違う3色が出来、それを『昭和三色』、以前のものを『大正三色』と言うようになりました。現在では、黒地に銀が入った『黒ダイヤ』という、養父市独特のコイもあります」

 コイを育てるのに一番大切なものは、何でしょうか。
「コイの養殖にふさわしい水を作ることですね。金魚を金魚鉢に入れたら、すぐアップアップするでしょ。あれは水に酸素が欠乏しているため、空気に酸素を求めているんです。水が一番大切です。『コイ作りは水作りから』と言いますが、いい水を作らんことにはコイは養殖できません」兵庫県を流れる円山川を訪ねました。川は実にいろいろな顔を持っているものだと、改めて思いました。


福井県小浜市を流れる北川と、その支流の遠敷川を訪ねました。水と歴史と心の話、実に胸に響き、いろいろと勉強になりました。