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水と向き合って暮らす、但馬の人々。
兵庫県豊岡市を流れる円山川。豊岡駅から数km南へ来た辺りは、川幅が20〜30mなのに対し、河川敷は広く、奇麗に整備されています。この円山川は、豊かな水をたたえる母なる川であるのと同時に、暴れ川として昔から人々を苦しめてきました。平成16年の台風23号でも、大変な被害が出ました。今回、最初に訪れる屋敷も、そんな暴れ川ぶりをうかがわせる建物です。



   「砂防の父」の生家。   <円山川の地図はこちら>
 


赤木家住宅の母屋

 円山川から東へ数百m、引野地区にはほっこりするような昔懐かしい風景が広がっています。そんな風景に溶け込む赤木家住宅は、昨年3月に豊岡市初の国の登録有形文化財となった庄屋さんのお宅で、石垣があったり、軒下に舟が吊るされていたりと、円山川との関わりをのぞかせます。赤木家第14代当主の赤木新太郎さんにお話を伺いました。いつごろ建てられたのでしょうか。
「明治3年と聞いています。140年ぐらいたつわけですが、一つの建物だけ父が改修しており、それ以外はすべて登録有形文化財で、16カ所が登録されています。設計・施工は船大工の棟梁(とうりょう)が行い、質素な造りの中にも随所に遊び心を反映させていて、例えば、欄間が影絵のようになっていたり、くぎ隠しにコウノトリをデザインしたものがあったりといった具合です。昔は家族も大家族だったうえ、『男衆』や『女衆』、常勤の大工さんも1人居ましたので、ここで常時30人ぐらいの人が暮らしていたようです」
 

蔵には洪水に備えて
舟がつり下げられている

 他にも、評価されている点が多くあります。
「『母屋』には、玄関が4カ所あります。通常のお客さんを迎える玄関、左手に出入りの方が使う『勝手口』、右手に直接仏間に入れるお坊さん専用の『式台』、さらには最賓客をかごのまま内側の庭へと迎える門です。そこから一番格式の高い『奥の間』に直接入れるようになっています。母屋以外では、『北涼館』という凝った造りの平屋があり、再現することが難しい建物だと評価されています」

円山川

 気になるのは円山川と関係です。まずは、この家が生んだ人物と関わりについて。
「ここは、『砂防の父』と呼ばれる赤木正雄博士の生家です。日本の砂防技術では、堰堤(えんてい)を造ってもよく流されてしまうため、博士は自費でヨーロッパ留学をし、その知識を元に日本に合った砂防技術を確立しました。今では『SABO』が国際語にもなっています。一方、暴れ川である円山川の改修には多額の費用を要したため、博士たちは国会議員等に陳情され、地元の方と力を合わせ、何年もかかって国の直轄河川に編入してもらいました。以後、国の費用で大規模な工事ができるようになり、大きな水害から逃れるようになったと聞いています」


この高さで浸水を逃れた

 この家も、洪水に備えて工夫が施されています。
「水害時に一番大変なのは飲料水の確保ですから、水脈の違う2本の井戸を掘り、濁っていない方の井戸水が使えるようになっています。また、石垣でかさ上げをした上に建てています。円山川の河川改修前はよく洪水があったようで、これまでの最高水位は、門の前の階段を一段残すところまで来たと父から聞いています」 赤木さんにとって、円山川はどんな川なのでしょう。「言い尽くされてはいますが、私に限らず但馬の人たちにとっては『母なる川』だと思います。荒々しい顔を見せることもありますが、それに勝る豊かな恵みをもたらしてくれる川なのです」