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   水を視点に但馬を知った1年。     
 

円山川
(養父市)
 豊岡市の南隣、養父市にやって来ました。こちらは昨年4月に八鹿、養父、大屋、関宮(せきのみや)の各町が合併して誕生した市です。北部の養父市八鹿町の円山川は、先程とは一転して流れが急で、水が少なく感じます。河畔で「但馬学研究会」会長の島垣晃さんにお話を伺いました。
「リゾート法ができるなど、但馬がどんどん開発されてしまうのではという危機感のなか、兵庫県のイベントである『但馬の祭典』が計画されたので、但馬に関していろいろ学んだ上、そこで提言しようと、15年ぐらい前に研究会が出来ました。今、会員は30名で、但馬在住者の他、但馬出身の鳥取、大阪、京都の方もいらっしゃいます」


水害で被害を受けた堤防
写真提供:但馬学研究会・島垣晃さん

 1年の活動は7月に始まり、昨年度のテーマは「水」だったとのこと。
「7月に総会があり、去年は8月の例会で水をテーマにすることを決めました。9月には、日高町の十戸(じゅうご)という集落に行き、滝の下あたりにいっぱいあるわき水を使い、マスを飼うなどして水と一緒に生活している方のお話を聞きました。バイカモが水の中に咲いていて、とっても奇麗でした」

  10月には台風が来ました。
「大変な水害に見舞われ、メンバーもたくさん被害に遭ってしまって、会員みんながボランティアで応援に駆けつけたため、その月の例会は取りやめました。もっと奇麗な水をイメージして年間テーマを決めたのでショックが大きく、一時は中止の声も上がりましたが、このまま水や円山川を置いていくわけにいかないと、11月には決壊やがけ崩れなどの場所を円山川沿いに全部見て回りました。年が明けて今年1月には、古文書に記録されている円山川のはんらんについて、豊岡史料整理室の山口久喜先生にお話を聞きました。豊岡は大体2年に1度ぐらい洪水に見舞われ、大正時代には一つの集落がそっくり流されたことも分かりました」
 

2005.5の例会 カヌーでの円山川下り
写真提供:但馬学研究会・島垣晃さん
 2月以降はどうだったのでしょう。
「もう一度水のいい面をということで、お酒をテーマに、但東町でどぶろくを造っていらっしゃる方のお話を聞きに雪の中をみんなで行きました。どぶろくは独特の風情がありますので、賞味し、楽しくわいわいお話をしました。4月は円山川の一番の下流域である豊岡盆地で、今年、コウノトリの放鳥が予定されていますので、『兵庫県立コウノトリの郷公園』の池田啓研究部長を訪ねました。水辺の鳥であるコウノトリが、もう一度住める環境をつくろうとしています」

  5月、そして最後の6月は何をしたのでしょう。
「1992年と97年にカヌーで下った時、素晴らしい川だなという思いがありました。じゃあ台風の後、円山川はどうなってるんだろうと、5月はカヌーで下りました。全体的な風景はそんなに変ってませんでしたが、以前より河川の中に自生している木や竹がすごく増え、予想に反して土砂などはあまりたまっていませんでした。逆に河畔の樹木なんかにごみがいっぱいで、花が咲いたようになっちゃってショックでしたね。6月は『兵庫陸水生物研究会』の西村登先生と一緒に川に入って、しかも一般公開という方法で多くの方に参加していただいて、水生生物を実際に観察しました」


取材現場で魚取りをする人と出会う
 島垣さんにとって、円山川はどんな存在なのでしょうか。
「昔から、母なる川・円山川っていう表現が使われているように、但馬では円山川を中心に文化や生活が広がっています。上流域では『川がき』という子供たちが、まだ川で泳いでいるんです。こういうのがもっと生まれるべきじゃないか。少しでも多くの子供たちが川で遊んでいる風景をつくり上げたら素晴らしんじゃないか。そんな思いでいっぱいです」
 

 

お話をお伺いしたお2人は、ともに行動力がおありで、そのリーダーシップのもとで会もどんどん発展しています。しかし、その根底には、何よりこの円山川を愛する気持ちの強さがあることもよく分かりました。