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ウォーターパーク波賀から南に下り、宍粟市では最も南に位置する山崎町に来ました。揖保川本流沿いの道に2ヵ所、断崖が突き出ているところがあり、そこにトンネルが掘られ、洞窟のようになっています。この「与位(よい)の洞門」は昔から名勝として知られていますが、この地域の人たちは大変苦労を強いられてきたようです。詳しいお話を「中山間(ちゅうさんかん)農村活性化推進協議会」会長の中村俊文さんに伺いました。
「昔は完全に岩で囲まれていて、岩の上にある『上(うえ)ホキ』いう細い道を通りました。今も200m西に入り口がありますが、道は獣道になっていて通れません。江戸時代か明治の初めごろになると、この岩の外に穴を掘って、そこに六寸角くらいのクリの木を腕木として差し込みました。川底から松の木の丸太でそれを支え、その上に「頃木(ころぎ=柴を敷くための台木)」を並べ、さらにその上に雑木の柴を敷き、土を置いて橋にしたわけです。ところが、少し水が出るとすぐに流れてしまうので、人が落ちて大けがをする難所であったようです」 |
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「定かではないんですけど、明治36年ごろ、村人が2年がかりで穴を掘ったと言われております。ノミや金づちでカンカン叩いて掘ると、途中で大きな岩が割れて穴に詰まってしまったので、村中の者が大きな綱を掛けて引っ張ったものの、出てこなんだ。牛に引っ張らせると、ものすごい音を立て、大きな煙を上げて岩が出たと聞いています。当時はまだ橋がなく、下から奥へ上がるのに難所になっていて、ここに船の渡しがあったんですけど、牛や馬が荷物を背負うたまま船に乗るため、一回に3頭か4頭しか乗らず、朝は大変混雑したと記録に残っております」 |
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この揖保川は、地域の人たちにとってどういう存在だったのでしょう。 |
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