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   護岸改修で発見された、米作りの証拠。
 
北川河床遺跡から出た甕(かめ)と壺
 福井といえば米どころ。今度は、はるか昔の米作りについての話題です。JR東小浜駅の少し東にある小浜市埋蔵文化財調査センターでは、北川河床(かしょう)遺跡の発掘調査を行ってきましたが、これが非常に貴重な発見につながったそうです。小浜市世界遺産推進室の松川雅弘さんに、埋蔵文化財調査センターの前にある福井県立若狭歴史民俗資料館でお話を伺いました。
「北川河床遺跡は弥生時代前期の遺跡で、出てきた土器によって若狭地方に米作りが入ってきたということが確認できる遺跡です。北川の護岸改修の際に川を深く掘ったところ、偶然、厚い粘土層が出てきて、そこに土器や木器が混じっておりました。破片とかも集めますと、大体1200点ぐらい。それまでにも弥生時代の土器は破片などがいくつか見つかっておったんですが、これだけ大量に出たのは初めてで、周辺に集落があるのではないかと考えられるようになりました」


集落の想像イラスト
 北川の川底は、一体、何だったのでしょうか。
「粘土の層は湿地帯の底だったと考えられます。周辺の集落で生活に使っていた土器や木器などのうち、いらなくなって捨てたものが、北川の川底にたい積したと考えていいと思います。集落はそう遠くない上流のどこか、多分、今の北川にあたる川が何本か流れていて、その間や周辺に田んぼを造って生活していたと考えられます」

 資料館に展示されているのは4点。どんなことが分かるのでしょうか。
「この土器の特徴として、壺(つぼ)と甕(かめ)には、帯のような『突帯(とったい)』と『沈線』を巡らせている点と、貝殻で文様を付けた点があり、この土器がはるか遠く九州の板付(いたづけ)遺跡に端を発する土器の一種だということが分かります。板付遺跡は、遠賀(おんが)川の川岸で見つかった遺跡で、そこの遠賀川式土器というのが、稲作を伝える基準的な土器になっております。山口県下関市の綾羅木(あやらぎ)遺跡はじめ、兵庫県北部や京都府北部にもそういった遺跡がいくつかあり、日本海を伝って若狭まで、土器と米作りの文化が伝わってきたと言えます」


高坏の客部分
 これらはどのように使われたのでしょう。
「壺は貯蔵用の容器で、甕は煮炊きをするもの。ですから、甕にはすすが付いていたりします。この他にも、食器として使われた鉢や、ここに展示されている木製高坏(たかつき)も出ました。今回は脚の部分しか出てきていませんが、高坏は今でいうデザートを盛るような食器です」

 弥生時代前期の稲作社会に果たした北川の役割を伺いました。
「北川の他に南川という川があり、この2本が小浜平野を造りました。それから、川を使って奥地まで入って行って交流するという交通の便にも使われました。さらに、弥生人が住んでいた地域に水田を造るための水を供給してくれた、ありがたい川だとも言えます。当時も今も、若狭の人にとっては切っても切れない大事な川であるということですね」


  福井県立若狭歴史民俗資料館
 
 ■開館時間/9:00〜17:00 (入館は16:30 まで)
 ■休館日/年間で休館日を設定
 ■入館料/100 円
       *70歳以上と高校生以下は無料
 ■TEL /0770-56-0525


清流北川は、さすがに見た目は奇麗でした。しかし、アユが遡上(そじょう)しやすく産卵しやすい川造りをもっと進めて欲しい。また、アユ釣りをされる方は、ぜひルールを守って楽しんでいただきたいとも感じました。