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岡本川の水が生んだ、越前和紙。
福井県今立町。この町は、横山大観はじめ日本画家の大家が強く支持した和紙作りで、1500年の歴史を持ちます。町を流れる岡本川は、鞍谷川に合流し、日野川、九頭龍川へとつながって日本海に注いでいますが、この水がどうして和紙作りに向いているのでしょうか。そこには不思議な伝説も残っています。



   “紙わざ”発祥の川。     <岡太神社の地図はこちら>
 

岡本川

 町の市街地から南西方向に、岡太(おかもと)神社と大瀧神社の二つが祭られています。ともに和紙作りの歴史と深い関係があります。岡太神社総代の石川満夫さんに伺いました。石川製紙会長で福井県和紙工業協同組合前理事長の石川さんは、和紙作りのプロでもあります。
「このお社は岡太神社、大瀧神社の里宮です。背後の権現山が神体山で、山頂の奥の院に二つの本殿が並んでいます。紙すきの里の大瀧には、神宮川や岡本川が流れていますが、1500年ほど前、川上に美しい女性が現れ、ここは田畑は少ないが清らかな水が流れているのだから紙すきを生業(なりわい)にしたらいいと、その技を教え、名を告げずに『川上に住む者』とだけ言って立ち去りました。村人は女性を女神として岡太神社に祀(まつ)り、今日まで紙すきを伝えてきました。これが『川上御前』の伝承です」



岡本神社・大瀧神社の宮里側の本殿・拝殿

 大瀧神社の方はどうなんでしょうか。
「一方の大瀧神社は、719(養老3)年、白山を開かれた泰澄大師が、岡太神社を御前立てにして十一面観音を本地仏とした神仏習合の社を建立、大瀧稚児権現と称して大瀧寺を開かれたのが始まりです。明治の神仏分離令で大瀧稚児神社に改められ、後に大瀧神社と呼ばれるようになりました」
 紙作りと水と山。そこには自然への信仰がありそうです。
「白山信仰は吉野や熊野と同じく御山信仰で、水を司る神々への信仰です。川上御前も水から生まれた紙の神様です。人々の生活とは切っても切れない水を生み出すのが山であり、そこから山にいる水分(みくまり)の神という形が生まれてきました。すべての命と生活を支えるものは水からもたらされるという考え方で、その水を支配するのが水分の神です。岡太神社の祭神は水波能売尊(みずはのめのみこと)、つまり水分の神で、川上御前でもあります。水分の神と水の力で作り出される紙、その二つから川上御前の話が生まれたんだと考えています」



横山大観が寄進した社標

 川上御前はどんな人だったんでしょう。
「川上御前には水の神様、紙の神様という見方の一方、渡来神という見方もあります。古代、日本海沿岸は中国や朝鮮の大陸文化の玄関口でした。この地方には、機織りの部族『服部(はとり)』が住み着いた服部郷、織物の『管師』の里を意味する朽飯(くだし)、そして、古代の『たたらの里』と推測される、万葉集で有名な味眞野(あじまの)の里があり、古代のハイテク産業の集積地でした。紙すきの技術者集団が渡来して住み着いたことは、十分考えられます」

  岡太神社・大瀧神社