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佐保川が赤い金魚を育て、紺屋川が鮮やかな藍を出す。
夏祭りの季節ですが、欠かせないのが縁日です。そして、縁日は金魚すくいがなければ話になりません。今回は金魚の産地、奈良県大和郡山市に来ています。ここは郡山城を中心に栄えた城下町で、奈良市方面から佐保川が流れ込み、市内で大和川に合流しています。佐保川のほとりに立つと、生い茂った草や近くの水田から、虫やカエルの鳴き声が聞こえてきます。



   武士の副業から始まった金魚産業。     <佐保川の地図はこちら>
 

佐保川

  JR郡山駅のすぐ北、野垣内(のがいと)町にある「宮本養魚場」に来ました。20ほど並んだ水槽の中に、3cmぐらいからその何倍もの大きさのものまで、多くの金魚が泳いでいます。こちらの宮本忠一さんに伺いました。まずは金魚の定義から。
「尾ヒレが三つに開いている淡水魚が金魚です。2000年ぐらい前、中国南部で野生の赤いフナが見つかり、それを原種にして選別淘汰されたのが今の金魚。日本には室町中期に伝わり、貴族や富豪が大変珍しいペットとして飼っていました。庶民にとって身近になったのは明治以降です」



出荷前の金魚

 大和郡山で金魚の養殖が盛んになったのはいつごろなんでしょう。
「1724年、柳沢吉里が郡山城主として甲斐の国から来た時、下級武士に副業として養殖を薦めたのがきっかけです。うちは3代前の先祖が、農業の副業として食用のフナやコイを養殖していましたが、金魚ブームで売れるようになったため、みんな金魚に変わっていったわけです」
 みんなが金魚を飼うようになったのはいつごろでしょう。
「朝鮮戦争の特需で生活が豊かになって、昭和28年ごろから金魚がちょっと売れてきたので養殖が盛んになりました。昭和25年から30年ごろが第1次ブーム、昭和30年から40年にかけてが一番需要の高まった時期でした。以前は各家庭のげた箱の上で飼われていましたけど、最近は不況もあって飼う家が減りましたね。養魚場者も多い時は200軒近くありましたが、昭和40年をピークに、養魚業者も養魚面積も3分の1になりました。今、大和郡山全体で80軒ぐらい、出荷量は年間大体8000万匹で、その9割5分が金魚すくいの金魚です。うちもそうですが、どこも一番安い金魚を生産しています。何万円という金魚は需要がないわけですわ」



金魚の養殖池には佐保川の水が最適

 金魚の養殖の仕方を伺いました。
「冬の間に、卵を産んでくれる親魚を大きい池に入れておくと、4月から5月ごろに産卵してくれます。孵化した金魚をミジンコのわいてる池に入れて大きくします。生まれた卵の2割か3割ぐらいが無事に育っていきます」

 来る途中、緑色の池がありました。
「金魚の養殖池です。観賞するには澄んだ水がいいんですが、養殖は緑がかった植物性プランクトンのいる池でしかできません。酸素や肥料を入れて、青い水をこしらえているわけです。水は佐保川の水をくみ上げています。佐保川の水は養分があり、ミジンコがわくから金魚を育てるのに適しています。地下水は硬水なのでわきません。佐保川は一時、工場や家庭の排水で汚れていましたが、最近はまた奇麗になってきました」