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地ビールと温泉が楽しめる、川上酒と舟運の町。
紀の川は、流域に広い平野を持つ開放的なイメージのある川。世界遺産登録で話題の和歌山県かつらぎ町は、その紀の川が中央に流れ、紀の川の水の恵みによる「川上酒(ざけ)」や、お酒などを運んだ舟運(しゅううん)の歴史を持つ町です。今回は川上酒が現代風に進化した地ビールや温泉の話題も含めて取材しました。



   「川上酒」と「川上船」。     <紀の川の地図はこちら>
 

紀の川

 最初は「川上酒かつらぎ文化伝承館」を訪れました。1階はかつらぎ町の歴史や特産品の展示、2階は川上酒に関する展示です。昔の酒造りの工程か見られるマジックビジョンなど、触れて、見て、聞いて、学べる体験型施設です。
 ところで、かつらぎ町は和歌山県北部を横断する紀の川の真ん中あたりの町、なぜ「川上酒」なのでしょうか。文化財保護指導委員の田林伸元(たばやしのぶよし)さんに伺いました。
「江戸時代、和歌山の城下町から見て領内での上流にあたったためです。だから今も『川上』と呼ばれています」



昔の酒造りの道具

 この辺りがお酒造りに適している理由を伺いました。
「八代将軍徳川吉宗が紀州藩主だった宝永4年、橋本市学文路(かむろ)の庄屋・大畑才蔵が高野口町小田から水を引いて小田井用水を造り、それで1000町歩(ちょうぶ)の田んぼが潤いました。また、紀の川の伏流水が、大変奇麗で冷たい水としてわき出ており、それが酒造りに使われました。川上酒造りは200年あまり前の文化文政のころから段々盛んになり、小田井用水により米作りが進み、米を使う酒蔵が33軒もありました。今はわずか2軒。戦後、食料不足で米が酒より食料として使われたこと、酒蔵の多くが大地主で、農地改革により土地が減って酒米が少なくなったこと、さらに、メーカーのブランド酒が全国的に流通したことなどが原因です。メーカーは、四季醸造といって一年中オートメーションで酒造りができるのに対し、地方の酒蔵は、冬1回の経験と勘による醸造なので、販売競争に遅れを取ったわけです」



木綿に関する展示

 酒造りが盛んだったころは船で運んでいたとのこと。
「紀の川には、長さ10m、幅2.6mの杉で造った『川上船』があり、その船で和歌山の城下町や江戸、大阪、京都などへ送られていました。道路より早く、和歌山への下りなら1日で大量輸送できるんですね。酒以外にも、杉板、高野紙、凍豆腐、川上木綿などを和歌山へ送り、帰りは紀三井寺の塩、木綿の原料の綛(かせ)糸、イワシやニシンを干した干鰯(ほしか)という飼料を川上へ運んできました。ここと和歌山との間で、1日300隻の船が行き来していたようです。当時全国的に使われた三十石船が紀の川でも上り下りしていたとのことです。ただし、「川年貢」という通行料を払わなければなりませんでした。「番所(ばんどこ)」という料金所で支払っていたようです」

 川上酒と並ぶ名産の川上木綿も展示されています。
「宝暦年間に紀州藩主が木綿の生産を奨励したんです。伊都郡では、今のかつらぎ町大谷村と高野口町名倉村に綿の生産を奨励したといわれています」
 田林さんが作った木綿も展示されています。

 

  川上酒かつらぎ文化伝承館
 ■開館時間/9:00〜17:00 *入館は16:30 まで
 ■休館日/毎週月曜日(祝日の場合は火曜日)、
       祝日の翌日
 ■入館料/無料
 ■TEL/0736-22-7840