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由良川
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闘龍灘に立っています。岩が加古川一面に覆いかぶさっているようで、川がゴツゴツした岩に挟まれて流れを早めています。川沿いには多くの家が建ち並び、開けた中でここだけふっと大自然が残る不思議な感じです。滝野町観光協会の阿江(あえ)孝仁さんに伺いました。
「普通、川は柔らかい土を掘って流れていきますが、たまたまここ闘龍灘は凝灰(ぎょうかい)岩の岩場です。加古川でもこういう風景は珍しく、他の川にもこれほどの岩場はないでしょう。闘龍灘の名前は、江戸末期の詩人・梁川星巌(やながわせいがん)が訪れた時、岩を流れる水音や水しぶきに、龍が天に昇る姿、2匹の龍が暴れるイメージを抱き、闘う龍の灘、闘龍灘と命名したようです」
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江戸時代はまだ闘龍灘が開削されておらず
上流側で降ろした荷を
陸路でこの下流側船座に運んだ
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大型連休には「花まつり鮎まつり」が開催されます。
「多くの出店が並び、アユが食べられ、子供たちがアユを放流するなど、5月3日に開催されるアユにまつわるお祭りです。舞台では『闘龍太鼓』などの演奏があり、夜には5月初旬という早い時期の花火大会が行われ、1300発の花火が上がります」
どうしてアユ漁の解禁が他より1カ月も早いのでしょう。
「闘龍灘では稚アユが下流から上流へ登るのを取るため、この時期でないと捕まえにくいからという説、また、姫路城主の池田公に献上する初物のアユを取る漁場に指定され、他より前に取る権利が与えられていたからという説などがあり、後者が有力です。年貢の代わりにアユを納めることもあったんでしょうね」
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明治時代に開削された「堀割水路」
これで筏(いかだ)が流せるようになった
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飛びアユを捕まえる仕掛け漁があるそうです。
「『筧(かけひ)漁』です。滝を登る時、真っすぐ登れず失敗するアユがいますが、人工的に滝を造り、登るのを失敗したアユをアリ地獄のような穴で捕まえる仕掛けを筧といいます。最近はアユが少なく昔ほどは飛びませんが、一番の遡上時期となる5月初頭には、観光用として再現します」
花まつり鮎まつり
■開催日/5月3日
■問い合わせ/滝野町観光協会0795-48-3001
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