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蛇砂川と西の湖に集う、熱き人々の活動。
琵琶湖の東側、滋賀県近江八幡市に広がる田園には、蛇砂(へびすな)川が流れています。幅は30mほどで、奇麗な水の両岸にヨシが生え、向こうに安土山も見えます。この川は一度、内湖(ないこ)の「西の湖(こ)」に注ぎ、そこからまた琵琶湖へと延びています。内湖とは琵琶湖周辺の小さな湖のこと。仏教大学の植村善博教授によると、蛇砂川の名は、万葉歌の舞台、蒲生野(がもうの)を蛇行して流れる姿が蛇のようだったため、付けられたのだろうとのことです。


   琵琶湖オリジナル狂言。        <蛇砂川と西の湖の地図はこちら>
 

蛇砂川
 織田信長が築いた幻の名城、安土城があった滋賀県安土町に来ました。城の西に位置する西の湖は、隣の近江八幡市との両方にまたがっています。この西の湖を中心に水の環境を守る活動をしている、「東近江水環境自治協議会」専務理事の丹波道明さんに伺いました。
「蛇砂川は自然の川ではないと思います。天智天皇のころ、近江八幡や安土から鈴鹿の山にかけてを蒲生野と呼んでいた時代、鈴鹿山脈からの伏流水が豊富だったため、百済(くだら)などから入植した渡来人が、水路を造り、その水を使って農業をしたのでしょう。その水路をつないで造ったのが蛇砂川じゃないでしょうか」
 


西の湖
 東近江水環境自治協議会の誕生について伺いました。
「1998年ごろから近江八幡市と安土町の行政の有志が、西の湖を奇麗にしたいと『長命寺湾西の湖環境保全協議会』をつくられました。それを母体に住民組織をつくり、行政と住民が一緒になって西の湖の保全を進めたかったからです。その協議会が、西の湖の観察会やパックテスト、琵琶湖や川をさかのぼって鈴鹿の山へ行く活動などへの参加を住民に呼びかけました。実際に参加した人のうち、安土町と近江八幡市の各10名ずつが、設立準備委員となって設立準備委員会を開催し、東近江水環境自治協議会をつくっていったわけです」



刈り取られたヨシ
 どんな活動をしているのでしょう。
「小グループの活動では、ヨシのお茶や食材、ヨシ染の研究会、西の湖の植物や昆虫、魚や鳥の観察会、無農薬・有機農業を目指すグループ、絵や写真の会などがあります。協議会全体では、たまたま大蔵流狂言師の木村正雄先生のお弟子さんがいたので、木村先生に西の湖を舞台にした水環境の狂言をお願いしました。そんな偉い先生とも知らず(笑)。当時、琵琶湖では外来魚をどうするかが大きな問題でした。でも、それは人間の目から見た問題です。人が連れてきて、増えすぎたからけしからんと。そこで、ブラックバスやブルーギルの視点で狂言を書いていただきました。それが『琵琶の湖(うみ)』で、2001年6月24日、近江八幡文化会館の『環境フォーラム』で初演しました。ヨシを刈って舞台に並べ、舞台が開くとシラサギが立ち、ヨシの新鮮な匂いが流れる。観客が沸きました。世界湖沼会議や世界水フォーラムへの参加要請もあり、狂言だけでも活動が広がりました。狂言は『琵琶の湖〜その後〜』へとつながりました」


蛇のような(?)蛇砂川
 狂言以外にも全体としての活動があったようです。
「水道が出来て、水辺から人が遠ざかりました。昔は自然の水を飲み、水がおかしいと感じたら調べに行きました。今は誰も顧みません。そこで、なんとか水辺に戻ってもらおうと、ヨシ舟を造って子供たちと遊ぶことにしました。結果としては、大学生がヨシ船づくりに参加してくれて、5隻で琵琶湖の沖島まで渡ったこともありました」