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そこに生まれた伝説、そこで暮らす人々。
由良川が流れる京都府福知山市に来ました。10月の台風23号では、福知山市内で由良川の堤防2カ所が欠損し、下流の大江町や舞鶴市では大洪水が起きました。今回は、その由良川の支流、土師(はぜ)川にある井堰(いせき)での人々の闘いのお話です。




福知山城と「明智藪」

 
  音無瀬橋のたもとに立つと、ゆったりとした川の流れに心が安らぎます。福知山城の足下で、北東方向から流れてきた由良川の本流が直角に曲がっていて、そこへ土師川が合流し、“三差路”のようになっています。由良川は、昔はほぼ真っ直ぐ流れていたのですが、明智光秀が城下町建設のため川を付け替えたそうです。その時、大規模な堤防を造った上、竹やぶでそれを強化しました。今、「明智藪(やぶ)」と呼ばれている竹やぶです。
 

   ある井堰(いせき)の物語。     <土師川(由良川)の地図はこちら>
 

土師川
 由良川との合流地点から、土師川を2kmほど上った堀地区に来ました。川幅は約150mと広く、左岸側に取水ゲートがあって、5m先に水位を調節する10m幅のゲートが2基、その先には右岸に魚道と大きな井堰があります。
 
 この「堀井口堰(ほりいぐちぜき)」を長年守ってきた、福知山市堀井口堰土地改良区前理事長の外賀(げか)義雄さんに伺いました。まずは取水ゲートについて。
「田んぼに水を入れるゲートです。毎年5月24日に水門を開けて、水を調節しながら流し、『堀田んぼ』の灌漑(かんがい)用水にします」


堀井口井堰
 井堰はいつ出来たのでしょう。
「記録に残っているのが慶長元(1596)年です。石を置いて造ったのが一番初めです。以後、寛文10(1670)年には大修理をし、翌11年には7回決壊。安政2(1855)年にも堰が全壊するなど、何度も水害に遭いました。大きな補修をしたのが明治29年と明治43年。『29年の水』『43年の水』といわれるほどの水害で、左岸堤防のほとんどが決壊して大変でした。井堰は農民の生命線ですから」

 16年間、理事長として土師川を見守ってきた外賀さん。
「土師川は、そりゃもう恵みの川です。小さいころの水泳場で魚取り場でもありました。今も水は奇麗で、由良川や土師川のアユは有名です。けど、どの川もいったん牙を向くと怖いので、備えをしておかなあかんということです。ここ通ると、水門の管理者がご苦労やと思います。16年間のことが体に染みついとるんですね。守っていかなければならない川です」