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かつては淀川に合流していた、大和川。
柏原市は大阪府中央部の東端に位置し、奈良県と接しています。市内を流れる川は、奈良県から流れて来る大和川です。今年、その大和川が直接大阪湾へ注ぐように付け替えられて、ちょうど300年になりました。付け替えによって良くなったこと、悪くなったこと、そして、新たに起こった産業などもあるようです。



   大和川付け替えの秘話。   <大和川の地図はこちら>
 

大和川
 最初は柏原市立歴史資料館に来ました。今、「大和川付け替え300周年記念企画展III〜つけかえから300年」が開催中です。展示を見ながら、学芸員の安村俊史さんに伺いました。
「今年は付け替えから300年ということで、春に1回目として、『絵図に描かれた大和川』というのをやりました。夏に2回目として、発掘調査なんかで出てきたものを中心に『大和川を掘る』という展示をしました。 企画展3回目の今回は、付け替え運動に関する資料や付け替え工事前後の様子を表した絵図、古文書の展示が中心です」


河内国絵図
 絵図に付け替え前の大和川が描かれています。
「奈良から流れてきた大和川は石川と合流し、今は西へ流れていますが、以前はそこから北へ流れ、久宝寺川や玉櫛川(たまぐしがわ)、平野川など多くの川に分かれて、それが大阪城付近で再び合流し、旧淀川、今の大川に流れ込んで、海へと注いでいました。河内平野は起伏がなくて洪水が起きやすく、今の八尾市、東大阪市、大東市、四條畷市、寝屋川市あたりは、そのたびに被害に遭い、付け替えを嘆願していました。一方、計画ルートに当たる人々は、堤防を含めて幅200m以上にもなる大和川が付け替えられたら村や田んぼがなくなってしまうし、新たな洪水も起きるなどの理由で反対しました」

  付け替え運動には中心人物がいたようです。「今の東大阪市吉田あたり、今米(いまごめ)村の庄屋、中甚兵衛が有名です。展示してある甚兵衛の陣羽織は、工事中に着ていたと伝えられているもので、『水』という字が三つの書体で書かれています」


中甚兵衛の陣羽織
 工事期間は短かったようです。「付け替えが決定したのが1703年10月で、翌年2月に着工、10月に完成しています。短期間で完成した理由のひとつは、工区の半分を幕府が担当し、残りを岸和田、三田、柏原などの藩に担当させたことです。藩同士で競争が起き、また時間がかかると費用もかかったからだと思います。費用の見積りは7万両あまり、今の額で約140億円です。3万7000両出した幕府は、元の流域の新田開発の入札金ですべて回収しましたが、藩はそれぞれが費用を分担しました」

  付け替え後、反対派の心配は現実になったようです。
「村の真ん中に川が通ったため南北に分断されたり、水没した田んぼの代替地へ行くだけで1日かかったり。また、以前は洪水と無縁だった川の南側で洪水が起きるようにもなりました。賛成していた地域は洪水がなくなり新田開発も進みましたが、元が河原で簡単には田んぼに出来ず、綿(わた)やなたねなどを作るようになって、綿が後に一大生産品になりました」



  柏原市立歴史資料館
 ■開館時間/9:00〜16:30
 ■休館日/毎週月曜日、年末年始
 ■入館料/無料
 ■TEL/0729-76-3430
 *企画展「つけかえから300年」は2004年12月5日(日)まで