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身長1万mの「あまんじゃこ」が住んだ町。
兵庫県多可郡中町は、兵庫県の中央に位置し、酒米山田錦と播州織の生産が盛んな町です。この町を流れているのが、加古川の支流の杉原川です。川幅は30mほどで、底が透き通って見えるほど奇麗な水がゆったり流れています。ここには、農業と杉原川に関係が深い伝説が残っているそうです。さて、どんな伝説なのでしょうか。



   天に届く“大人(おおびと)”伝説。   <杉原川の地図はこちら>
 

杉原川

 中町の伝説について、那珂ふれあいボランティアガイド会長の川口昭三さんに伺いました。高東(たかさき)橋の上から見る杉原川は奇麗です。
「水が冴えていて、魚もたくさん住む、自然に恵まれた川です」

 不思議な生き物の伝説があるそうです。
「『あまんじゃこ』です。正しくは天の邪気(あまのじゃく)でしょうが、中町ではあまんじゃこと呼ばれる、身長1万mぐらいある大人(おおびと)です」



妙見山

 大人はいつごろから知られているのでしょう。
「715年ごろの『播磨国風土記』に登場します。大人がやってきて、絶えず背中を屈めて歩いていたのに、この国へ来ると腰を伸ばしても頭が天につかえなかったため、『嗚呼、高』と言ったのが『多可郡』の始まりと書かれています。この正面に標高約700mの妙見山が見えますが、神崎郡との境には約800mの笠形山があり、その間は約8kmなんですが、あまんじゃこは二つの山に夢の架け橋を架けようと、右手で妙見山に、左手で笠形山にそれぞれ石を積み上げたんですが、そんなに長い橋げたがなく、石を探している間に夜が明けたため、両方の山に石垣だけが残ったという伝説もあります」
 人工的に積み上げたような石垣が本当にあるとのこと。
「本当は秀吉が城を造ろうとした石垣だという説もあります。他には、あまんじゃこが中町の北の加美町から、ずっと田んぼを祭って歩いたという伝説があります。加美町の田んぼの水口に榊(さかき)を立てて祭りながら中町の曽我井まで来ると、夜が明けたようです。その伝説から『田祭り』が行われるようになりました。『田祭り』は加美町から始まり、中町の曽我井で終わります。田んぼを祭ったり、踏んだ足跡が池になったりといった伝説の残るあまんじゃこは、農業の神さんを意味しているのでしょう」


   水への祈り。
 

雨乞い岩

 高東橋から約2km上流の高岸地区に来ました。対岸に5mほどの岩がそそり立っています。
「『雨乞い岩』です。岩は2m以上川の底に埋まり、ここは干ばつでも水が絶えません。元々、岩の上は平らでしたが、今はいろいろなものが生えて見えません。昔、ここで大干ばつの時に雨乞い行事をしました。ここから1kmあまり離れた『雨乞い山』で『とんど』をして天を焦がす煙を上げ、牛を追いながらここへ来て、岩の平らなところに白い布を置き、そこへ切った黒い牛の首を据えて雨乞いのお祈りをするわけです。江戸時代まで行われていたようです」
 水を大切にしてきた中町の人たち。
「杉原川は恵みの川です。江戸時代には舟で米を運んだ産業の川であり、生活の川であり、命の川であるといえます」


   涙が川になった。


思出川
 杉原川の支流の思出川(おもいでがわ)に来ました。川幅は杉原川の10分の1程度です。
「ここもあまんじゃこの伝説につながっています。あまんじゃこは長く中町に住んでいましたが、いよいよ丹波の国へ帰ることになり、1kmほど南の『見返橋』あたりで那珂の里を何度も振り返り、心引かれながらここまで来ました。峠を越えれば丹波です。あまんじゃこがこらえ切れずに流した涙が川になり、『思出川』の名が付いたといわれています」

 近くに見えている橋にも由来があるようです。
「『嫁入橋』です。200mほど南に丹波街道に架かる橋があり、昔、丹波から中町へ嫁ぐために渡ろうとした花嫁が、国からの不幸の知らせで引き返しました。それ以来、その橋は嫁の通れない橋となり、この橋を通っため嫁入橋になったわけです。ただ、私はあまんじゃこがここを通って黄泉国(よみのくに)へ帰っていったという伝説で『黄泉入橋』と呼ばれるようになり、それが嫁入橋に変わっていったと解釈しています」