ホーム パーソナリティ紹介 これまでの放送-放送日から検索 これまでの放送-地図から検索 番組あてメール ラジオ大阪

 



   揖保川沿いの名勝の数々。
 

觜崎屏風(はっさきびょうぶ)岩

 揖保川は新宮町東部を北から南へ流れています。ここは新宮市の東南部、すぐ先は龍野市です。今、揖保川の西岸にいますが、対岸に「觜崎屏風(はっさきびょうぶ)岩」があり、山頂から川へ岩脈が続いています。びょうぶを開いた状態ではなく、閉じた形で岩が浮き上がっています。新宮町観光協会の小笠原欣吾さんに伺いました。どのくらいの大きさなのでしょう。
「山頂から揖保川までが140m、山から盛り上がっている部分が5.8〜12m、幅が5〜7mです。山頂から川の中まで岩が続いています」



磨崖仏の「いぼ神さん」

 貴重なもののようです。
「明治27年に巨智部(こちべ)博士という方が、地質学上貴重だと学会で発表したことから知られるようになり、昭和6年に文部省から『天然記念物』に指定されました。何億年も前に割れ目に入り込んだマグマが固まり、最初は柔らかい石英粗面岩と硬い粒状の安山岩から成っていたのが、風化で石英に亀裂が入って崩れていき、安山岩だけが残って今の状態になったということです。硬い部分が残った岩が、これだけ広い範囲に存在しているのは珍しいそうです。奈良時代の『播磨風土記』にも記述があります。先人も巨岩信仰や巨木信仰などをするなかで、ここも貴重なものとして敬意が払われてきたようで、新宮町の北の一宮町にある伊和神社に、大国主命が御柱山に俵を立て柱を立てたというような伝承が残っています」

 仏様もあるようです。
「この下流300mの岩の斜面に磨崖仏が彫られています。『いぼ神さん』として信仰されているお地蔵さんで、願をかけたらイボが取れたということで、一部では『イボ取り地蔵さん』という名でも親しまれています。文和3年5月という梵字が彫られていますので、室町時代に彫られたのかと思われます」



「寝釈迦」 左の山が釈迦の横顔
 他にも川沿いの見どころがありそうです。
「磨崖仏から少し下流に、昔、渡し舟があった場所があり、その後方の山並みがお釈迦さんの寝ている姿に見えることから、『寝釈迦の渡し』と呼ばれています。また、揖保川の支流・栗栖川の奥に、戦中戦後に造られた人工池の栗栖池があります。秘境といわれ、新宮町の人でもなかなか行けません。私は中学生のころ探検がてら行きましたが、池の中から何か出て来そうな神秘的な静けさがありました」

 揖保川はどんな存在なんでしょうか。
「流れが穏やかで子供たちの遊び場ではありますが、ひとたび災害が起きた時は、人知を超えた力、偉大さをも感じる大きな川です」


かつて新宮町では、人々の生活が舟運によって揖保川と密接に関わってきた。しかし、舟運が衰えた現代でも、揖保川は新宮町の人にとってなくてはならない存在だということがよく分かりました。