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信仰の対象にもなった、川の参詣道。
和歌山県新宮市を訪れています。ここを流れる熊野川は、奈良、三重、和歌山の各県を経て熊野灘に注いでいますが、瀬と淵が交互にあるため自浄作用に優れ、河口まで水質がいいのが特徴です。この熊野川が今年の夏、世界遺産に登録されました。




熊野川(写真提供:熊野学情報センター準備室)
 JRで紀伊半島をぐるりと回るようにしてやって来た新宮市。大阪や京都から歩いて来れば“はるかな地”です。しかし、この地は昔から都人の心を捕らえて離しませんでした。「熊野詣」の地として、貴族が、また武士や庶民が続々と訪れ、その様子は「蟻の熊野詣」と表現されるほどでした。和歌山県本宮町の熊野本宮大社、新宮市の熊野速玉大社、那智勝浦町の熊野那智大社が熊野三山として信仰を集めましたが、その熊野三山と熊野古道などがユネスコに世界遺産登録されました。「紀伊山地の霊場と参詣道(みち)」の名で、吉野・大峯、熊野三山、高野山の三つの霊場と、その霊場を結ぶ大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)、熊野参詣道、高野山町石道(ちょういしみち)の三つの参詣道が世界遺産となったのですが、熊野参詣道(熊野古道)のなかに熊野川が含まれているのです。

   かつて参詣道だった川。     <熊野川の地図はこちら>



熊野速玉大社(新宮市)

 新宮市役所にある「熊野学情報センター準備室」で、熊野古道と熊野川の関係を室長の山本殖生(しげお)さんに伺いました。
「熊野古道は熊野へ参詣するための道で、和歌山県を通る紀伊路、三重県を通る伊勢路があり、紀伊路の場合は、田辺から山中を通って本宮へ行く中辺路(なかへち)、串本を回る大辺路、高野山から行く小辺路があり、最重要ルートは中辺路でした。世界遺産に登録されたのは、これら大中小の辺路と伊勢路です」
 そのルートに熊野川が含まれていると聞きました。
「中辺路の一部になります。滝尻王子から本宮までは山の中ですが、本宮から新宮までは舟で下りました。新宮の速玉大社に詣でて那智山に行き、本宮へ引き返す時も使う往復の重要なルートで、30kmあまりを舟で行き来しました。熊野川は今よりかなり水量が多く、砂利も堆積(たいせき)しておらず、舟を着ける場所もない険しい峡谷を、本宮から4〜5時間かけて下りました。上りは倍近くかかったようです。絵図に描かれている舟は、丸木舟に毛の生えたような準構造船です。皇族は幕で目隠ししましたが、一般の人は裸の舟で危険を顧みずに下ったようです」


昼嶋(写真提供:熊野学情報センター準備室)
 熊野川自体が宗教的な意味を持っているのでしょうか。
「本宮と新宮は熊野川を神として祭ってきた古い社で、信仰のルーツを考える上で熊野川は重要です。本宮大社は日本一雨の多い大峯山系にあり、水を鎮める神としての性格が強く、そのため元々は熊野川の中洲にありました。新宮は速玉大社、速い玉で、急流の熊野川の水の勢いを神として祭ってきました」
 新宮から本宮の間に珍しい岩があるそうです。
「浅里地区の昼嶋という川中島は、柱状節理の頭の部分が見えて碁盤の目状になっています。そこで天照大神(あまてらすおおみかみ)と熊野権現が碁を打ったという伝説もあります。また、この少し上に『男根石』と『女人石』があります。和歌山県側に男性のシンボルそっくりの30mの岩が水からそそり立ち、対岸の三重県側の山には女性のシンボルそっくりの岩の裂け目があって向きあっています。そこに船を止めると、“男女”の猿が現れて“過ち”が起こるといわれています」

 世界遺産になって、熊野川を訪れる人も増えているはず。
「熊野川は古代から重要な河川交通ルートでした。見事な景観、多様な伝説に出会えます。文化的景観が一番色濃く残っているのが熊野川のルートだと思います。交通システムを整備し、多くの人に利用してほしいですね」