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  伊勢神宮誕生の伝承。   <由良川の地図はこちら>
 

宮川

 大江山を登り、元伊勢神社に来ました。由良川の支流、宮川が流れています。宮司の大志万昌次(おおしまんしょうじ)さんに伺いました。
「ここがお伊勢さん内宮神社の元の宮と伝えられている元伊勢内宮皇大(こうたい)神社、裏参道の坂を300mほど下がった宮川渓谷の巨岩の上に元伊勢奥宮といわれる天岩戸(あまのいわと)神社、また3km下流にお伊勢様の外宮・豊受(とようけ)大神宮の元の宮と伝えられている元伊勢外宮豊受大神社があり、元伊勢三社と言います。お伊勢さんの内宮皇大神宮の発祥地は大和の笠縫邑(かさぬいの)村、現在の奈良県桜井市大宮で、天照命神様が皇室の御祖先神として祭られていましたが、2065年前、永遠に鎮まる聖地を求めて私を祭りなさいという御神示があって旅に出て、最初にここ宮山の聖地に鎮座されました。4年後、さらに永遠に鎮まる聖地を求めて約54年で21カ所を回られて、今の伊勢の五十鈴川のほとりに永遠にお鎮まりになった。そんな伝承から当社を元伊勢内宮と呼びます」



内宮皇大神社 黒木の鳥居が特徴的
  黒い鳥居が特徴的です。
「当社の社殿は原始的な構造で、鳥居も皮が付いた杉で建てられています。黒木の鳥居といい、当社と京都嵯峨野の野々宮神社以外にはありません」

 他の二つはどんな神社でしょうか。
「天岩戸神社の祭神、櫛石窓(くしいわまど)、豊石窓(とよいわまど)の二柱は、門を守る岩石の神様で、岩戸渓谷の巨岩の上に鎮座されています。渓谷を挟んで天岩戸神社と向かい合う原生林の山は、元伊勢天岩戸神社の御神体山ともいわれています。一方、外宮豊受大神社の祭神・豊受大神は、内宮皇大神社がこの地に鎮座した時に船岡山に天下り、食物神として天照大神様に食物を奉られたと伝えられています。内宮皇大神が伊勢に移って後、約600年後に現在の伊勢の山田原(やまだがはら)へ移ったという記録があります」


天岩戸神社
 信仰の歴史と川との関係が深いとのこと。
 「元伊勢三社は、いずれも大江山の主峰・千丈ケ嶽を源に、由良川に合流する川の中流沿いにあり、昔から元伊勢両宮の間の約3kmを神聖視して五十鈴川とか宮川と呼んでいました。江戸時代から明治中期には、丹後、丹波、但馬、播磨、山城、若狭、越前、近江、摂津の各地から年間約8万人の参拝者があったと記録されています。かつて由良川は水量が豊富で、満潮時には潮が押し寄せ、外宮の船岡山のふもとや内宮の御山のふもとまで潮が来ていたようです。外宮山の森は水に浮かんだようになり、船の丘、船岡山と呼ぶようになりました。船岡山が外宮山もろとも流されないよう祈りを込め、内宮と外宮の天戸淵に大きな石を置き綱でくくり付けたという面白い言い伝えがあり、それが信仰に結びついています。そんな『舟ツナギ石』が、圃場(ほじょう)整備の際に田んぼから掘り出され、今も新しく組んだ石垣の上に立てて保存されています」


内宮皇大神社近くの「舟ツナギ石」に来ました。説明書きには「港石」とあります。高さ1m弱、どっしりと祭られています。石の南の方角に船岡山があり、山というより森のようになっています。その様子から、当時の伝承のシーンが思い浮かびます。