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   龍野のしょうゆを広めた高瀬舟。   <揖保川の地図はこちら>
 

龍野市立歴史文化資料館

 龍野市立歴史文化資料館は、JR本龍野駅から西へ徒歩15分、龍野城の中にある。原始から近世までの龍野市や揖保川流域の町の歴史が紹介されている。学芸員の市村高規さんに伺った。展示は5つのコーナーに分けられている。
「『原始古代の龍野』は、考古学の世界です。次の『古代の山陽道』は、古代の太宰府までの道・山陽道を、『中世の筑紫大道』は、中世の都から九州への道に伴う文化を紹介しています。『龍野城主と城下町』は、江戸時代の歴代の龍野城主と城下町の生活がテーマです。最後の『近世の街道と揖保川』は、近世の村・町の暮らしと揖保川にちなむ資料の紹介で、川漁師に与えられた漁業権を保障する鑑札や『うるか』を入れたつぼなどを展示しています。うるかはアユの内臓の塩辛です。明治時代、山陽本線の開通を契機に、龍野はアユ狩りの名所として売り出し、盛んにうるかが作られました」
 

 

 


揖保川の食文化を感じる展示
 揖保川は高瀬舟が有名だが、いつごろあったのだろう。
「江戸時代初期の元和7(1621)年、上流の山崎藩で町人が水路を開拓し、高瀬舟を無税で運行する許可を受けました。歴史上最も古い高瀬舟の記録です。上流からは米や大豆、炭や材木、薪などが、龍野からは特産のしょうゆが主に運ばれたようです。江戸中期以降は、京都や大阪に運ばれるしょうゆの半数以上が龍野産でした。龍野から網干港で大型船に積み替え、淀川をさかのぼり、淀から陸路で京都へ入りました。高瀬舟がなければ、龍野のしょうゆはこれほど盛んにはならなかったでしょう。江戸時代後半にはそうめんも盛んになり、明治になると次々と運ばれたようです」

 水路図がある。揖保川や支流の林田川などの間に、四角く囲まれている所がある。
「そこに、川の井堰から用水を引いていた村の名前が書いてあります。夏は農業用水のため川を堰き止めますから、高瀬舟も3カ月間あまりは運行できませんでした。現在もその水路図と全く同じところにコンクリートの井堰があり、水を引く地区は江戸時代と変わりません。この辺りの発展の源は、揖保川の水なんです」

 

 



   龍野市立歴史文化資料館
 ■開館時間/9:00〜17:00
 ■休館日/毎週月曜日(祝日の場合は火・水連休)、
       祝日の翌日(土日の場合は月・火連休)、
       年末年始など
 ■入館料/大人200円、小学生〜大学生・65才以上100 円
       *特別展は料金変更
 ■TEL/0791-63-0907



兵庫県龍野市で揖保川が生んだそうめんと水運について学んだ。そうめんにづくりに欠かせない揖保川の軟水。揖保川は、そうめんだけではなく、龍野の生活そのものにも欠かせない川だ。