ホーム パーソナリティ紹介 これまでの放送-放送日から検索 これまでの放送-地図から検索 H15/3までの放送 番組あてメール ラジオ大阪

宇治橋周辺でめでる、「宇治川物語」。
京都府宇治市、宇治川に架かる宇治橋に来た。世界遺産の平等院や宇治上神社が近く、歴史遺産にも恵またエリアだ。宇治川は京都府と大阪府の境界で木津川、桂川と「三川合流」して淀川となる。そして、この宇治橋は日本最古の橋の一つで、歴史の証人でもある。今回はこの周辺に残る“宇治川物語”を取材する。



  日本最古の橋の一つ     <宇治川の地図はこちら>
 

宇治川

 
 今回の“宇治川物語”の語り手を、宇治市観光協会事務局次長の北村庄司さんと観光ボランティアガイド代表幹事の服部明信さんにお願いした。
 水かさの多い宇治川にかかる立派な宇治橋。欄干がさきほど洗われていた。
北村 宇治橋は京都府が造った橋で、宇治の観光に気を使っていただき、ヒノキの木目とか見えるように新品同様にしてもらっています。ありがたいことです。水は今が少ない時期で、6月などは数m上がります。

 服部さんはボランティアガイドを務めている。
服部 ガイドクラブは観光協会さんに支援いただき、今、80名余りのガイドがいます。種類は3タイプで、ほとんどは一般ガイドですが、ほかに、宇治は源氏物語「宇治十帖」の舞台で源氏ファンが訪れるため源氏物語を深く研究しているグループや、外国の方々を迎える外国語に堪能なグループがいます。また、ガイド1、2名がJR宇治駅前に常駐し、全国的にも珍しい当日ガイドをしています。



宇治橋

 宇治橋は見上げると木の橋に見える。
北村 橋脚はコンクリートですが、外観にヒノキをふんだんに使っています。1996年に約88億円かけて造られたものです。
服部 大化2(646)年、奈良の元興寺(がんごうじ)の僧侶道登(どうと)がこの橋を最初に架けたといわれ、日本最古の橋の一つに数えられます。信長、家康は共に宇治橋を修理していますが、秀吉は隠居所の伏見桃山城に交通を一極集中すべく奈良から伏見に直線で行けるよう城の近くに肥後橋を造り、材料として宇治橋の板を全部引き上げてしまいました。町の人たちはつらかったろうと思います。ただ、秀吉は宇治茶を振興させ、資金援助もしています。



三の間

 宇治橋の親柱には擬宝珠(ぎぼし)が付けられている。また、橋の中央辺りがバルコニーのように突き出ている。
北村 擬宝殊は、宇治市歴史資料館に保存されている寛永13(1636)年の刻印がある最古の擬宝珠をモデルに、同じ形、同じ大きさのものが取り付けられています。高欄は良質の国産ヒノキが使われています。突き出ているのは宇治橋特有の「三の間(ま)」で、西詰めから三つ目の柱と柱の間に造られているためその名が付きました。
服部 三の間には、宇治橋を守る女神の瀬織津比め(せおりつひめ)を祭ったほこらが設けられていました。後に西詰めに移されたものの流され、今はここから200mほどの所に祭られています。また、秀吉が三の間から川の水をつるべでくみ上げ、伏見城に持ち帰って抹茶を飲んだ話は有名で、この対岸にある「通圓茶屋」にそのころのつるべが保存展示されています。かつての宇治川は今より急流で、小島も多くて波が立ち、空気中の酸素が溶け込んでソフトな水質だったんです。



橋姫神社のほこら
 宇治橋西詰めから少し歩くと左手に橋姫神社があり、ほこらが二つ並んでいる。
服部 左が橋姫神社、右が住吉神社です。住吉神社は川の汚れをはじめ、苦しみや悪縁をすべて流してくれます。橋姫神社は嫉妬深い女神の瀬織津比めを祭る縁切り神社です。縁切りの神と縁結びの神が一緒に並んでいらっしゃるわけです。この町では、婚礼の時は橋姫神社の前は通りません。