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豊かな水が生む、和紙、みそ、しょうゆ。
奈良県吉野町を流れる吉野川。日本で最も雨の多い地域の一つ大台ケ原を源とする吉野川は、途中、紀の川と名を変え紀伊水道に注ぐ。豊かな水は吉野町に多くの財産を生み出した。今日は、その中で伝統の紙すきと昔ながらの製法で造られているみそとしょうゆ造りの現場を訪ねる。



  紙づくりの技を守る。     <吉野川の地図はこちら>
 

吉野川

 吉野町は古くから和紙の里で、高級な和紙の産地として知られる。窪垣内(くぼがいと)地区は、隣の南大野地区とともに昔ながらの紙すきの中心地だ。ここで和紙を作っている福西弘行さんに伺った。福西さんは文部大臣認定の「宇陀紙(うだがみ)保存技術保持者だ。
「宇陀紙は私で、美栖紙(みすがみ)は上窪正一さん、吉野紙は昆布尊男(たかお)さんが保存技術保持者です。宇陀紙と美栖紙は文化財修復に欠かせません。宇陀紙はすいた紙を積み重ねて一昼夜置き、翌日1日かけて水気を取り、晴天の日に板に張りつけて乾かします。美栖紙は、簀(す)伏せといって、すいてすぐ一枚ずつ板に張りつけて干します。宇陀紙は吉野特有の白い土を混ぜてすき込むため、表装仕上げの時に波打ったり、反ったり、縮んだりしない吉野特有の紙です。ずっと古くから作らせてもらっています」



福西弘行さん

 福西さんで五代目だそうだ。
「この屋敷に来たのは昭和の初めです。おじいさんの話では、谷崎潤一郎先生が5日間ほど毎日来て、私と石垣のところで腰掛けて、紙張りや紙すきなどを見入っていたそうです。おじいさんが紙を板から離してお土産にあげたんですけど、谷崎先生のものは何も残ってません。親父が『なんで何か書いてもらわへんねん』と言いましたが、おじいさんは『俺は小学校3年しか行ってない。そんなに立派な方とは知らん』と。もう残念で。でも、こういう場所で紙を作らせてもらえるっちゅうのは幸せです。とくに水が一番ありがたいですね」

 吉野の紙すきはどこから伝わったんだろう。
「大海人皇子、後の天武天皇が『壬申の乱』以前、皇太子争いで吉野に逃れて来て、紙を作っている家を訪ね、もっといい紙づくりの知恵を授けたのが始まりといわれています」



吉野川でコウゾを洗う福西さん

 興味深いいい伝えもあるようだ。
「皇子が川沿いに逃れてきてこの地の人に助けを求めると、おじいさんとおばあさんは川から船を河原に引き上げ、ひっくり返して中に皇子をかくまった。そして、上にカシの花を立て、川でウグイを取って供えて祭りごとをしていると、追っ手の連れてきた犬が嗅ぎつたので、氏神さんにあった大きな石を投げて犬を殺しました。以来、この土地で犬を飼うと、火の気のない所から火が出るなど不思議な出来事があるため、犬は飼わないことにしています」

 確かに、犬の鳴き声が聞こえない。ところで、紙すき歌があるようだ。
「昔、小さいすき舟(水槽)ですいていたころの歌で、材料や白い土を入れ、糊も合わせて、馬鍬(まんが)でかき混ぜる際の仕事の辛さを歌ったものです」

 福西さんは実際に歌を披露してくれた。