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村の中心を流れ、暮らしの中心を流れる。
相楽郡南山城村は、京都府南東の端にあり、奈良県と三重県に接する府で唯一の村だ。周囲は山深く、村の中央を木津川が東西に流れる。木津川は淀川水系で、多くの川と合流して大阪湾へ注ぐ。ここに立つと、雄大なこの流れをずっと眺めていたい気持ちになる。



  自然と伝説に彩られた山里。     <木津川の地図はこちら>
 

恋路橋

 木津川に架かる「恋路橋」は幅約3.5m、橋脚はコンクリートで、橋けたも舗装されているが、なぜか欄干がない。南山城村教育委員会村史編纂室の前野雅彦さんに伺った。
「欄干がないのは、元々、戦争中の昭和20年ごろに物を運ぶために架けられた橋だからです。潜没橋といって、川に水があふれると橋は沈みます。橋が出来てから最大の災害は昭和28年の水害で、この上に見えている国道163号のところ、高さ7mぐらいまで水が来たと聞いています」


恋志谷神社

 恋路橋とはロマンチックな名だ。
「商工会が村おこしの一環で名前を募集し、近くの恋志谷(こいしだに)神社にもつながる『恋路橋』の名が選ばれたそうです。恋志谷神社には伝承があり、鎌倉時代、倒幕計画がばれて隣の笠置町にある笠置山に後醍醐天皇がこもられていました。伊勢で病気療養中の高貴な女官が、天皇に一目お会いしたいと駆けつけましたが天皇は去った後。女官は悲しみと病の再発で亡くなりました。『人に恋い焦がれて亡くなるのは自分一人で結構』と遺言を残したため、人々が哀れんでほこらを建てたといわれています」
 女官の縁は結ばれなかったが、後世、ここは縁結びの神社になったようだ。

 



夢絃峡(三川合流地)

 前野さんと上流の「(むげんきょう)」に来た。三重県上野市から流れる木津川(伊賀川)と奈良県月ヶ瀬村から流れる名張川が、ここで合流して木津川になっている。夢絃峡もロマンチックな名だ。
「この辺りは、江戸時代に伊賀上野と大阪を結ぶ水上交通のルートでしたが、江戸末期の1854年、現在の上野市を中心に起こった大地震による山崩れで、上野からの木津川の流れがせき止められたそうです。その後、昭和初期にある旅館の主が、せっかく歴史があるのにもったいなと、川を下る伊賀川ラインを開削し、終着点を夢絃峡と名付けました」

 剣豪柳生十兵衛最期の地といわれる弓が淵、また、川の途中には岩だらけの険しい所もある。
「明神の滝です。ただ、滝といっても落ちる滝ではなく早瀬です。江戸時代は木材をいかだに組んで大阪へ流すルートでしたが、難所だったようです」

 村の人にとって木津川はどんな川だろう。
「人や物が往来し、生活や文化の交流に大きな役割を果たしてきました。また、川から立ち上る霧で村が包まれる時期があり、全国的に知られる宇治茶の栽培に大きな役割を果しています。重要な川です」