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二つの水の町にある、珍しい“町の顔”。
兵庫県氷上郡柏原(かいばら)町に来た。加古川水系奥村川が流れる。氷上郡には柏原町、氷上町、春日町など六つの町があり、合併で一つの市になろうとしている。他の町同様、柏原町も丹波の豊かな自然に抱かれている。奥村川は住宅街を流れているが、山が迫っているため、近くの家の柿の木のオレンジ色のすぐ向こうは深い緑だ。今回は、柏原町と氷上町の珍しいものを訪ねる。



  樹齢1000年の「木の根橋」。     <柏原町の地図はこちら>
 

木の根橋

 柏原町役場の隣にある、柏原のシンボル「木の根橋」に来た。大きなケヤキの根が、橋のように奥村川をまたぐ。実際に渡れるわけではないが、隣の朱色の欄干の橋とマッチする。「丹波柏原ふるさとガイドクラブ」会員の桂正一(まさかず)さんに伺った。
「この木は、高さが約22m、枝の広がりが約25m、樹齢約1000年といわれています」

 昭和45年に兵庫県の指定文化財になった。柏原町といえばこのケヤキという感じなのだろうか。
「木に芽が出たら春、葉が散り始めると秋と、町民はこの木に四季の移ろいを感じます」



織田神社

 川をまたいでいるのは、やはりこの川があったからだろうか。
「横のコンクリートの橋は、昭和11年まで土橋でした。けたを架けて土を置くので腐ります。だから20〜30年で架け替えます。その度に、その土の中に細い根が通っていて、心優しい昔の人が根をそのままにして土橋を架け替え、それが何代も続いてこの形になったのではないかとのことです。土橋は根が川を渡るのに都合がよかったんでしょう。樹木医によると、周囲をアスファルトで固められて生育には悪い環境ですが、横に川があるから生きているのではとのことです」

 柏原町は織田家の城下町でもある。
「織田信長の弟で伊勢の洞津(あのつ)城主であった信包(のぶかね)が、1598(慶長3)年、3万6000石で初代藩主となりました。3代続きますが、跡継ぎがなくお家断絶になります。28才で亡くなった最後の城主・信勝は名君で知られ、新田を開発し、佐治川や播州からの船の船着場を改修しました。また、書や絵画に堪能で遺墨が残っています。没後、領民はその徳を慕い、奥の大谷の廟(びょう)に織田権現として祭りましたが、45年後に再び織田領となってから、山の中の大谷から現在の木の根橋のたもとに移して、織田神社として祭っています」



八幡神社の三重塔

 階段を上がり、木の根橋の北にある八幡神社に来た。
「129段、204mあります」

 社殿の後ろに朱色の奇麗な三重の塔がある。
「塔は明智光秀の丹波攻めと2度の雷で燃え、そのたびに乗宝寺の住職が浄財で再建しました。現在の塔は185年ほど前の建立です。拝殿と本殿が一緒の特徴的な複合社殿、八幡造りです。普通は拝殿があって玉砂利があって本殿ですが、拝殿と本殿が狭い板の間を隔てて一緒になっています」

 紅葉はもう終わったんだろうか。
「いや、これから。一番最後に紅葉するイロハモミジだからです。ここは塔を見たり撮影したりするのに一番いいポイントで、お宮のひさしや軒、お宮には珍しい釣鐘、三重の塔、紅葉も視界に入ります」

 桂さんにとって、柏原の魅力は何だろう。
「静かな情の細やかな町であることです。50年あまり住み、つくづく思います」