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近鉄桃山御陵前駅東側の御香宮(ごこうのみや)神社に来た。ここでは御香水(ごこうすい)という香り高い水が出る。宮司の三木(そうぎ)善則さんに伺った。立派なソテツが目につく。 |
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「御諸(みもろ)神社でした。聖なるものが宿る森に神が祭られ、聖なる森『みもり』が『みもろ』になりました。それが平安初期、貞観4年9月9日に香り高く病も治る水がわき、清和天皇から、御諸神社の「御」、香り高い水の「香」で、『御香宮』の名をたまわったと伝わっています。祭神は本来なら水の神でしょうが、応神天皇の母・神功(じんぐう)皇后なので、安産の神として信仰を集めています」 水はずっとわき続けていたんだろうか。 「明治28年、神社の東側に今のJR奈良線が開通した時、水脈が断ち切られました。昭和40年代、生活習慣病などの人が増え、水に対する関心が高まってきたため、水の名を持つ神社としてわき水の復元を試み、昭和57年にわき出ました。そして、昭和60年の環境庁による名水百選選定の時、灘の宮水、四万十川の水などと共に御香水が選ばれ、全国区になりました。水が甘い、軟らかいということの意味が分かる水です」 まさに伏見は水に始まる。 「伏見は京都で一番低く、木津川、宇治川、桂川、鴨川など山城盆地を流れる川が伏見の南に集まります。必然的に水運の中心になり、人が集まり、水を生かした産業が興る。水を生かしてこそ伏見の伏見たるゆえんです。川はこれまで洪水対策で土手が高くされ、人を寄せ付けなかったため、川への愛情がなくなりました。もっと川に近付き、川から自分たちを見ることで、新しい文化が生まれます。十石舟もその一つです。三十石舟のオーナーは大阪人で、淀には二十石舟があったんですが、伏見にはお金持ってなくて、あかんようになりました。そこで元禄時代に幕府に嘆願書を出し、小回りが利く伏見十五石舟を造りました。それを復元したのが今の十石舟です。舟のおかげで川を奇麗にしようという心が起こり、三栖閘門も復元されました。将来は閘門を開け、伏見と大阪を結ぶ。そんなことも考えていかなければと思います」 |
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御香宮神社 ■TEL/075-611-0559 |
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![]() 京都市伏見区の宇治川エリアを訪ねた。ゆったりした時が流れる。十石舟に乗り、川から街を見てみると、日々の疲れも癒やされる。 |
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