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“架け橋”は快適4車線「清滝生駒道路」
5月7日、大型連休最終日でも真っ盛り、しかも、明日以降も続くお祭りがあります。有名な大阪の「野崎参り」です。毎年5月に開催されるこのお祭りは、歌や芝居、文学作品の題材になってきました。古典落語にもなっていて、野崎観音に行く際のユニークなやりとりが出てきます。一体、どんなお祭りなのでしょうか。早速、現地に向けてドライブします。



    車で行く野崎参り      <徳庵橋の地図はこちら
 

寝屋川に架かる徳庵橋
ここが口げんかの現場?
 東大阪市のJR学研都市線・徳庵(とくあん)駅の北、寝屋川沿いの道を走ってきて、徳庵橋に立っています。川の向こうの方には、京橋のビル群が見えます。さて、「野崎小唄」でもおなじみですが、野崎参りは天満橋のところにあった八軒家浜から船で寝屋川を上っていくのが有名です。しかし、落語では、この徳庵の土手を川沿いに歩いて行く人がいて、船で行く人との間で口げんかをする様子が出てきます。今、こうして道側にいて、川の方からは声が飛んでこないかなあと思ったりしていますが、残念ながら現在の寝屋川に船は見当たりません。でも、昔の人も、この広い寝屋川の空を見ながら野崎に向かってゆったり歩いたり、川をさかのぼったりしたのだろうと思うと、ちょっと嬉しくなってきます。
 

  口げんかの“正体”
 

門前に並ぶ屋台

 大東市にある野崎観音は、福聚山慈眼寺(ふくじゅさんじげんじ)が正式な名前。野崎参り中の今は、JR野崎駅から約300軒の屋台が、門へと上る150段の石段下まで並んでいます。住職夫人の田村雅子さんにお話を伺いました。
「奈良の大仏さんが建造された時、インドの婆羅門(バラモン)僧正(そうじょう)が来られて、お釈迦さんが悟りを開いたハラナの地に野崎が似ていると言われ、それに感動された行基菩薩がお堂を建てられたのが始まりです。本尊の観音さんも行基さんの作と言われています。野崎観音には1200年以上の歴史があります」

 

境内ではステージイベントも行われた
 野崎参りが盛んになったのは、江戸時代からとのこと。
「野崎は、なたね油や農作物を水路で大阪の天満に運ぶのにも、大阪からピクニック気分で船や徒歩で来るのにも、日帰りできる場所だったため、水遊びや船遊び、5月の野崎観音のお祭り、そして、お花見を兼ねた行楽地として栄えました。昔は天満の八軒屋浜から船で角堂(すみのどう)浜へ、そこで小舟に乗り換えて野崎浜まで来て、あとは『観音道』を歩いて野崎観音にお参りするのが道筋でした。落語にも出てくる川の土手を行く人と船で来る人とのけんかは、『ふり売げんか』という野崎参りの有り様です。みんな面白うに口げんかしながら、野崎に着いた時にシャンシャンと手打ちみたいにして仲良うにしたら、その年は1年間、運気がいいというような言い伝えがあったためです。なお、今年の5月1日には、三代目桂春団治さんが本堂で落語会をしました」


野崎観音の梵鐘
 そもそも野崎参りは、どういう行事なんでしょう。
「『無縁経法要』と言って、有縁無縁のすべてのものに感謝のお経を捧げるというものなんです。有縁とは、自分の先祖や親族など、自分に縁のある人たちですね。無縁は、普段、知らず知らずの間にお世話になっている草や花、食物、それに、お友達など血縁関係のないような人たち。みんなに、『無事に生きさせていただいてありがとう。お世話になりました』というお経を捧げる行事なんです。法要は5月10日です」

 1708年に鋳造された境内の鐘は、いつ誰が突いても構わないことで有名で、「野崎の鐘の突きっぱなし」と言われています。ただし、連打すると火事の知らせになるため、1人1回と決まっています。


  福聚山慈眼寺
 
 ■拝観時間/9:00〜16:00
 ■拝観料/無料
 ■TEL /072-876-2324