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いにしえの道に架かる「第二名神の橋」
2回連続で滋賀県草津市の草津宿、東海道と中山道の分岐点を示す道標横からスタート。前回は中山道、今回は東海道を巡ります。江戸日本橋から京都三条までの「東海道五十三次」に、大阪と京都を結ぶ京街道を加えて「東海道五十七次」とも言われるこの道は、徳川幕府が全国に整備した五街道の中でもメイン中のメイン道路。多くの大名が通り、たくさんのドラマが繰り広げられました。



  現存する最大規模の本陣
 


草津宿

 まずは草津宿本陣に。本陣は大名や幕府の幹部役人が泊まったところですが、その規模はいろいろ。しかし、ここはとても広くて豪華で奇麗。大きな玄関広間には、宿泊や休憩をする大名の名前が書かれた関札が並んでいます。「史跡草津宿本陣」の一矢典子さんにお話を伺いました。
「ここは東海道五十三次に現存する本陣の中でも最大規模を誇り、昭和24年に国の史跡に指定されております。建物自体は江戸時代からありますが、平成に入って7年間がかりで解体修理を行いました。草津宿には本陣が2軒あったのですが、残っているここは田中七左衛門本陣で、副業で材木商をやっていたことがあるため、『木屋本陣』とも呼ばれておりました」



台所も見もの

 部屋数はどれぐらいあるのでしょう。
「全部で30余室あります。宿泊人数は通常で20人〜30人ですが、70人〜90人という大規模なお泊りもあり、畳廊下で寝ていただくこともありました。台所も見もので、5連式のかまどや流し、水がめや井戸などが残っており、当時の雰囲気が伝わってきます。古文書には朝夕で250人分の仕出しをした記録もあります」
 5連式のかまどと言っても、その類のものがあちこちにあって、かまどは全部で14ぐらいありました。


大名が泊まった「上段の間」

 どんな人が泊まったのでしょう。
「新選組の他、浅野内匠頭(たくみのかみ)と吉良上野介(こうずけのすけ)が9日違いで泊まった記録も残されています。また、シーボルトの日記と照らし合わせ、おそらく彼自身が泊まった思われるオランダ人の記録もあります。皇女和宮(かずのみや)が降嫁された際には、2万6000人、草津を通り過ぎるのに4日近くかかる大行列を組み、いろんな宿屋に分かれて宿泊しましたが、その時の宿割帳がこの本陣に残っていて、役職名と宿の名前が記されております。それによりますと、和宮がここでお昼ご飯を食べたことが分かっております。草津宿には、本陣が2軒、脇本陣が時代によって2軒から4軒ありました。また、旅籠(はたご)は70軒ぐらい、多い時には132軒と非常ににぎわっていました」

   史跡草津宿本陣
 ■開館時間/9:00〜17:00 (入館は16:30 まで)
 ■休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、
         祝日の翌日(土日は開館)、年末年始
 ■入館料/大人200 円、高大生150 円、
         小中生100 円
 ■TEL /077−561−6636

   栗東市の二つの「間の宿」   
 

旧和中散本舗

 栗東市に入り、旧東海道の細い道をくねくねと進みました。草津宿と次の石部宿の間には、「間(あい)の宿」または「立場(たてば)」と呼ばれる休憩所が二つありました。
  最初は目川立場で、田楽発祥地などとも書いてありました。
  二つめが梅ノ木立場で、右手に大変に大きな古い建物があり、お腹や歯の痛みに効く道中薬の「和中散(わちゅうさん)」を売る薬屋さんだったようです。徳川家康の腹痛も、たちまち治してしまったという由緒ある薬だそうです。昔は大名の休憩所も兼ねていて、明治天皇はじめ多く旅人が立ち寄りました。この大角家住宅は、全体が国の名勝に、一部が重要文化財に指定されていて、予約をすると見学することができます。