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いにしえの道に架かる「第二名神の橋」 2回連続で滋賀県草津市の草津宿、東海道と中山道の分岐点を示す道標横からスタート。前回は中山道、今回は東海道を巡ります。江戸日本橋から京都三条までの「東海道五十三次」に、大阪と京都を結ぶ京街道を加えて「東海道五十七次」とも言われるこの道は、徳川幕府が全国に整備した五街道の中でもメイン中のメイン道路。多くの大名が通り、たくさんのドラマが繰り広げられました。 |
現存する最大規模の本陣 | |
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「全部で30余室あります。宿泊人数は通常で20人~30人ですが、70人~90人という大規模なお泊りもあり、畳廊下で寝ていただくこともありました。台所も見もので、5連式のかまどや流し、水がめや井戸などが残っており、当時の雰囲気が伝わってきます。古文書には朝夕で250人分の仕出しをした記録もあります」 5連式のかまどと言っても、その類のものがあちこちにあって、かまどは全部で14ぐらいありました。 |
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「新選組の他、浅野内匠頭(たくみのかみ)と吉良上野介(こうずけのすけ)が9日違いで泊まった記録も残されています。また、シーボルトの日記と照らし合わせ、おそらく彼自身が泊まった思われるオランダ人の記録もあります。皇女和宮(かずのみや)が降嫁された際には、2万6000人、草津を通り過ぎるのに4日近くかかる大行列を組み、いろんな宿屋に分かれて宿泊しましたが、その時の宿割帳がこの本陣に残っていて、役職名と宿の名前が記されております。それによりますと、和宮がここでお昼ご飯を食べたことが分かっております。草津宿には、本陣が2軒、脇本陣が時代によって2軒から4軒ありました。また、旅籠(はたご)は70軒ぐらい、多い時には132軒と非常ににぎわっていました」 |
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■開館時間/9:00~17:00 (入館は16:30 まで) ■休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、 祝日の翌日(土日は開館)、年末年始 ■入館料/大人200 円、高大生150 円、 小中生100 円 ■TEL /077-561-6636 |
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栗東市の二つの「間の宿」 | |
最初は目川立場で、田楽発祥地などとも書いてありました。 二つめが梅ノ木立場で、右手に大変に大きな古い建物があり、お腹や歯の痛みに効く道中薬の「和中散(わちゅうさん)」を売る薬屋さんだったようです。徳川家康の腹痛も、たちまち治してしまったという由緒ある薬だそうです。昔は大名の休憩所も兼ねていて、明治天皇はじめ多く旅人が立ち寄りました。この大角家住宅は、全体が国の名勝に、一部が重要文化財に指定されていて、予約をすると見学することができます。 |
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