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三木の金物のすべてが分かる資料館 | ||
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「それまでについては伝説の世界になりますが、昔から播磨地域は大和鍛冶の技術集団がいました。5世紀の中ごろに、百済から恵(けい)王子が、丹生山(たんじょうさん)の方にお見えになった際、韓鍛冶の鍛冶屋さんを連れて来たため、それと交わって急速に技術が発展したと言われています」 三木の道具が飛躍的に有名になったのにも、理由があるようです。 「ここが一応、復興をいたしますと、大工さんが三木の金物を持って各地に行きました。すると、よく切れるいいものだと評判になりました。さらに、大工さんがいろんな地区の技術を勉強して持って帰り、それを鍛冶屋さんに作らせたため、技術面でますます向上していきました」 |
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「そうです。三木の平田地区では、ナイフを作っておりましたが、熊本の肥後から来たナイフの技術を取り入れ、改良した三木独特のものが『肥後守』です。これは登録商標です」 町を歩いて気付いたのは、金物の町なのに小売店が少ないことです。 「まだ家内工業的に手づくりでやってるところがありますが、多くが工業公園といったところに移っております。また、販売につきましては、三木の国道175号の道の駅「みき」でメーカーさんや問屋さんが展示即売をしております。いろんな金物があります」 金物資料館の西隣には、「金物神社」もあります。 |
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■開館時間/10:00 〜17:00 ■休館日/月曜日(祝日の場合は翌日)、年末年始 ■入館料/無料 ■TEL /0794−83−1780 |
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湯の山街道を一層楽しむための穴場 | ||
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「そろばんと型は、かつての三木の産業やったんですよ。三木は金物以前に、染め型があり、それから金物、次にそろばん産業が成立しまた。そろばんは小野へ移り、もう三木ではほとんどなく、染め型も全くありません。明治維新後、インド綿が入り、紡績機械が出来、紡績会社が出来ることによって、地方の機織産業がなくなったんと、紺屋さんがなくなったために滅びてしまったんです。でも、素晴らしい文化財ですわ。どうしてこんな作業ができたんかな?というような小さいもんを作ってますんでね」 |
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「羽織などの着物の裏に、この小さい模様の柄をつけるのがお洒落なんです。江戸時代の庶民がお洒落をするのには、裏にしかできなかった。でも、明治になると、(表でも)洒落ができるようになったから、柄が大きくなってきた。だから、表柄に変わってきたんですよ」 1階には、三木の昔の絵図があり、何屋さんがあったとか、どこまでが免租地だったとか、どこまでが町外れだとかが分かるようになっています。「ここで一服してもらって、歩く時、ここはこうですよというような感覚で見てもらうと、また楽しいと思うんですよ。ただ歩くだけやなしに、ここに何屋さんがあったんやなとか、この角っこのとこ辺りでみんな一服したんかなとか、この小川ではわらじを湿らして旅したんかなとかいうような感覚で見てもらうと、おもしろい思い出になると思いましてね」 |
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ギャラリー湯の山みち ■開館時間/10:00 〜17:000 ■休館日/月曜日、祝日の前日、年末年始 ■入館料/無料 ■TEL /0784−82−7873 |
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“湯の山高速”をドライブ | ||
北神戸線は、西宮山口ジャンクションから第二神明道路へとつながる伊川谷ジャンクションまでの約32kmの道で、約4年前に全線開通しました。西宮山口ジャンクションからほんの2分で西宮山口南出口、そこから5〜6分で有馬温泉です。ただ、西宮山口ジャンクションは大阪方面からしか利用できないハーフジャンクションなので、西から入っていくことができないため、この六甲北有料道路を利用しているわけです。こちらからでも、走ってしまえば近いものです。有馬温泉、もうすぐです。 |
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![]() 兵庫県三木市を訪ね、湯の山街道を中心に町の歴史を楽しみ、何気ない町でも、掘り返せば歴史が出て来ることを実感しました。ところで、2000年からお送りしてきました「近畿道ものがたり」は、今回の放送をもって終了することになりました。長い間、ありがとうございました。またいつか、皆さんとラジオでドライブ旅行が楽しめるような時間が出来ることを祈りながら、お別れします。 |
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