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イノシシの勢いと日野商人の堅実さに触れて
あっと言う間に亥年の2007年も6分の1が過ぎようとしています。まさに時間が猪突猛進している感じ。でも、今回はのんびり名神高速道路をドイラブし、近江路に入って、イノシシの町を目指しています。ただし、ぼたん鍋を食べに行くのではありません。鈴鹿山系の西のふもとにある日野町では、イノシシを神様のお遣いだとしているそうです。なぜなのか、現地で調べてみることにしました。



   イノシシと日野祭の神社    <名神高速道路の地図はこちら>
 

馬見岡綿向神社

 竜王インターから国道477号で東へ25分ほど。昔ながらの城下町風景を見ながら、日野町の東端まで来ました。大きな杉木立に囲まれた大きな神社は、「イノシシのお宮さん」として知られる馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社です。太鼓橋と立派な拝殿、ちょっと変わった本殿があります。社(やしろ)信之宮司にお話を伺いました。まずは、神社の始まりから。
「1450年ほど前の欽明天皇6年、綿向山の頂上にお社をお祭りしたのが起源です。時代が下って平安時代初期の延暦15年、この地に神様を山からお移しし、お祭りをしはじめたのが当社の始まりとなります」

 
亥年だけ作られる絵馬
 イノシシとは、どんな関係なのでしょう。
「 この蒲生野辺りを支配していた豪族の蒲生稲置三麿(がもうのいなぎみまろ)と山部連羽咋(やまべのむらじはぐい)という方が、綿向山に狩りをしていると、一転にわかにかき曇り、4月(新暦5月)なのに急に雪が降り出しました。不思議なことだという思いで岩陰かどこかで待ち、雪がやんだため外へ出てみると、大きなイノシシの足跡があり、それを夢中で追っていくと綿向山の頂上に導かれた。そこで現れた白髪の老人から、ほこらを建ててお祭りをしなさいというお告げを頂いたため、そこにお社を建てたとのこと。そのため、綿向大神様のお遣いが大きなイノシシだと伝わっております」

 綿向山は東の方に見える山々の中で一番高い山。
「標高1110mで、非常に気高く見える雄々しいお山です。頂上には今も私の背丈以上のお社があり、20年に1度、地元のカヤの木を材料にしてお建替えをする『式年遷宮』の制度が残っていて、平成8年に第74回を行いました」

 
「お渡り」が描かれた大絵馬
 亥年に限ってイノシシの絵馬が作られることが、司馬遼太郎著『街道を行く』でも紹介されています。
「亥年だけ、宮司自らが、古くから伝わる焼き印をもって作っております。『街道を行く』を以前から読んでおられる方からも、いろんな問い合わせがありますたが、それ以上に、新聞やテレビなどのマスコミで、『イノシシのお宮さん』として取り上げられ、本当にびっくりするぐらい多くの方々にお参りいただきました」

 本殿左側のところに、大きな絵馬がたくさん奉納された絵馬殿があります。
「絵馬のうち畳4枚分ぐらいある大きな絵馬が作られたのは、江戸時代の文化9年で、『日野祭』と呼ばれている当社の春の例大祭における『お渡り』が描かれています。今は5月2〜4日に行なわれるお祭で、歴史は800年以上あります。当社の三柱の神様をお乗せする3基のおみこしが出、町内に16基ある曳山が祭ばやしを奏でながら境内に集まります。そして、神様が宿られる『神稚児』と、それをお守りするかみしも姿の100人ぐらいの行列を先頭に、2kmほど離れたお旅所までお渡りをして、またここに帰るという、1日がかりの勇壮で格式が高く、規律正しい湖東地方随一のお祭です」


 馬見岡綿向神社

■TEL /0748−52−0131