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イノシシの勢いと日野商人の堅実さに触れて あっと言う間に亥年の2007年も6分の1が過ぎようとしています。まさに時間が猪突猛進している感じ。でも、今回はのんびり名神高速道路をドイラブし、近江路に入って、イノシシの町を目指しています。ただし、ぼたん鍋を食べに行くのではありません。鈴鹿山系の西のふもとにある日野町では、イノシシを神様のお遣いだとしているそうです。なぜなのか、現地で調べてみることにしました。 |
イノシシと日野祭の神社 <名神高速道路の地図はこちら> | |
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「 この蒲生野辺りを支配していた豪族の蒲生稲置三麿(がもうのいなぎみまろ)と山部連羽咋(やまべのむらじはぐい)という方が、綿向山に狩りをしていると、一転にわかにかき曇り、4月(新暦5月)なのに急に雪が降り出しました。不思議なことだという思いで岩陰かどこかで待ち、雪がやんだため外へ出てみると、大きなイノシシの足跡があり、それを夢中で追っていくと綿向山の頂上に導かれた。そこで現れた白髪の老人から、ほこらを建ててお祭りをしなさいというお告げを頂いたため、そこにお社を建てたとのこと。そのため、綿向大神様のお遣いが大きなイノシシだと伝わっております」 綿向山は東の方に見える山々の中で一番高い山。 「標高1110mで、非常に気高く見える雄々しいお山です。頂上には今も私の背丈以上のお社があり、20年に1度、地元のカヤの木を材料にしてお建替えをする『式年遷宮』の制度が残っていて、平成8年に第74回を行いました」 |
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「亥年だけ、宮司自らが、古くから伝わる焼き印をもって作っております。『街道を行く』を以前から読んでおられる方からも、いろんな問い合わせがありますたが、それ以上に、新聞やテレビなどのマスコミで、『イノシシのお宮さん』として取り上げられ、本当にびっくりするぐらい多くの方々にお参りいただきました」 本殿左側のところに、大きな絵馬がたくさん奉納された絵馬殿があります。 「絵馬のうち畳4枚分ぐらいある大きな絵馬が作られたのは、江戸時代の文化9年で、『日野祭』と呼ばれている当社の春の例大祭における『お渡り』が描かれています。今は5月2〜4日に行なわれるお祭で、歴史は800年以上あります。当社の三柱の神様をお乗せする3基のおみこしが出、町内に16基ある曳山が祭ばやしを奏でながら境内に集まります。そして、神様が宿られる『神稚児』と、それをお守りするかみしも姿の100人ぐらいの行列を先頭に、2kmほど離れたお旅所までお渡りをして、またここに帰るという、1日がかりの勇壮で格式が高く、規律正しい湖東地方随一のお祭です」 |
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馬見岡綿向神社 ■TEL /0748−52−0131 |
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