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東と西、聖徳太子ゆかりの町をドライブ 旧暦2月22日は聖徳太子の命日。水墨画のようにかすむ二上山を見ながら、南阪奈道路でまず目指しているのは大阪府太子町です。今月は太子ゆかりの多くのお寺で法要などが営まれますが、今回は、この後、高速道路網を駆使して西の太子町へも足を伸ばし、太子が残した足跡をたどるドライブを楽しみます。 |
聖徳太子の墓を守る寺 <叡福寺の地図はこちら> | |
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「太子信仰の高まりとともに寺域が広がり、室町時代には、この太子御廟前の叡福寺を西の伽藍(がらん)、竹内街道沿いの転法輪寺を東の伽藍とする大寺院へと発展しました。しかし、室町時代末、織田信長によって全山が焼き払われ、1603年に豊臣秀頼公により聖徳太子様をお祭りする『聖霊(しょうりょう)殿』が再建され、江戸時代には叡福寺の伽藍が整備されましたが、転法輪寺は再建ならずに終わりました」 太子自身がこの地を自らの墓に選んだ伝説があるようです。 「推古8(600)年、太子27歳の時、太子が黒駒(くろこま)という駿馬に乗って諸国を行脚された際、富士山に登られました。山頂に至り、諸国を見回したところ、五色の光が雲の間から漏れ出ていて、その方向に降り立ってみると、この磯長 (しなが)の地へたどり着いた。太子は、ここが比類のない霊地であるということを悟られ、自分の眠る場所を決められたということです」 |
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「毎月11日を太子のご縁日ととらえ、ご法要をさせていただいております。とくに、4月11日は最も盛大に太子の徳を讃える法要を行っています。大正末までは2月22日に行っていたのですが、聖徳太子1300年の遠忌を契機に、4月11日となり、その後は11日を縁日としております。なお、2月22日には、ここ数年、太子とご縁のある場所を訪ねながら法隆寺から叡福寺まで歩く『太子道を訪ねる集い』が行われています。約16kmの道中には、太子がお座りになった所に屏風を立てたと言われる屏風岩や、達磨(だるま)寺があります」 |
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■参拝/終日、自由 ■寺宝館/9:00〜17:00 、 月休(祝日は開館)、12月第1月曜〜2月休 大人200 円、小学生100 円 ■TEL /0721−98−0019 |
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湾岸線がつながる日 <湾岸線の地図はこちら> | |
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